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2009年 11月 14日
![]() 傘通らんが辻にやさしく受けとめてもらひぬ今を君と吾の今を 勺 禰子 傘通らんが辻を擬人法にして今と言う儚くも尊い時を詠った相聞歌。作者のものに対する気持ち、君に対する気持ちが切なく伝わってくる。「傘かしげ」をしないと通れないほどの狭い道辻なのだろう。結句9音破調の字余りがむしろ詠嘆を強くしている。いい歌だ。 代々の祝女(のろ)の吐息のみなぎれる御嶽(うたき)にて身は震へやまずも 春野 りりん 沖縄のいずれかのうたきを作者は訪れた。うたきは霊場なので、感応の強い人はだれでも反磁場の霊気を感じるものだ。正直な述懐を鮮やかに歌にした。 ほろよひの夜話に死ぬ順決めしことなどをおもひつ結婚記念日 本田 鈴雨 今回のではない以前の結婚記念日にほろよいで死ぬ順を決めたのだろう。仲良し夫婦ならばだれでも経験することで、共感がある。若者ではない、中年以降にさしかかった印のようなものだ。作者は、底に明るさがあって、それが自然に歌にでる。いいことだ。 給付金全てを競馬に注ぎこんでサッパリキッチリお国へ返す 大矢 信夫 さっぱりさが潔い。歌がである。サッパリキッチリというオノマトペがこの歌の決め所で、それがうまく行った。お国へ返すという結句の表現は作者の人柄をことばに載せてうまい。 2009年 11月 14日
![]() あぶの羽音やぶかの羽音ぶゆの羽音みみを充たして踏査はじまる 弘井 文子 なにごとかを調べる為の踏査。羽音を3度繰り返して、その裏にある現場の困難さがリアルに表現されている。ぶよだとばかり思っていたら「ぶゆ」が正式名でぶよは別称であることを教えてもらった。姿は未だ見たことが無いから不思議だ。 オーライオーライ若きこゑなどまじりゐて塵芥車ゆく秋たつ朝(あした) 川井 怜子 初句の8音がこれだけ嵌った歌も珍しい。続く2・3句がうまい。情景が生き生きと目に見えるようだ。ゑとゐの仮名の使い方も周到で好感あり。塵芥車っていうんだ。川井さんは何でも知っている!結句も爽やか。 集中力はたとそがれて一匹の蝿を叩きに椅子より立ちぬ 柊 明日香 その感じ分る分ると思いながら読む。窓から出て行ってくれれば殺さずに済むのに、などと考えている柊さんの姿が目に浮かぶ。特に一匹の以下の韻律が心地よい。 さいたま市高砂あたりの街歩く小池光にばったり出合ふ 野村 裕心 そんなこともあるんだと、僥倖を喜びながら読む。このお二人が会うのが嬉しい。その後どうしたかと思うと、こんな嬉しい歌が。「彼もまた目を見開きてよろこびぬ『やじろべえ』にて珈琲を飲む」うんうんそうだ。 夫と吾の暮らしに笑ひ声絶えて久し畳に黴の生えたり 水田 まり ちょっと驚いた。最初は上の句と下の句との因果を読んでしまったから。しかしよく考えると、湿気の多い家相であれば、梅雨時は普通に畳に黴も生える。こまめな通風が必要だ。上の句と下の句をそっけなく繋げて、この不思議な味わいが歌になった。工夫して笑ってくださいね。 水音を聞きたくなって多摩川にひとり来たれば淡きゆうぐれ 中井 守恵 守恵ちゃんには詩神が微笑んでいる感じがする。美しい歌だ。それだけでなく、愛しい感じがするんだなあ。自由に思ったままを詠っているようで、それでいて結句できりっと詩にしている。彼女には、こんな歌は、特に旧仮名で書かせてみたい。ゆふぐれ、の方が似合う。歌に流れる時間がゆるやかなのだから。 久々にキャッチボールに誘われた たまには父の相手をせねば 上村 駿介 おおっと思った。父は、たまには駿介とキャッチボールしてあげようと思ったに違いないのに。ふふ。中学一年の駿介くんは気持ちも歌も、確実に成長している。 「だんだんと逆転しますな」職退きし夫の電話が隣室より洩る 小野 さよ子 わははと笑ってしまった。同時に切なくなる。「逆転しますな」の、しますな、この口吻がなんとも夫の人柄が出ていて、結句の簡潔な物言いも効いていて、いい夫婦だという雰囲気が伝わってきます、小野さん。 2009年 11月 14日
![]() 青山近くの表参道で、デニスを始めネイティブ・アメリカン・インディアンの若者達がきて、夕方から映画会と集会があった。 アメリカ社会の中で目標を失い意気消沈しているインディアンの若者達を元気付けようと、表参道欅会の会長である山本さんが、8年ほど前からデニスと一緒にアメリカでカヌーレースをはじめた。その勝者への報奨が日本訪問の旅なのだ。 久しぶりに会ったデニスは元気で、相変わらず優しいオーラに満ちていた。若者達もすばらしい好青年ばかりで、伴った息子も感激していた。 実はその朝、青山のわたしの仕事場に、デニスと京都の医師をしているチカちゃんと二人で突然訪ねてきたのだ。それはびっくりして、感激の再会だった。おかげで一日高揚した気持ちのいい日を過ごさせてもらった。 2009年 11月 12日
![]() リーフパイ食めばほろほろくづれゆく試されて示せぬ吾が意志のごとく 洲淵 智子 自責、自省といった感情、そして歯がゆさが下の句の大幅な字余りのなかでよく表現されている。リーフパイは確かにぱりぱり崩れる。ほろほろの語感がなにか悲しい。 ぼそぼそとぼそぼそとぼそぼそぼそと穂村弘の語る正論 斎藤 寛 下の句の定型の韻律が上の句の5・5・7を支えている。仮にこれを575の定型に収めたらどうかと、この歌をみて誰もが一度は試しそう。ぼそぼそとぼそぼそぼそとぼそぼそと。557にした作者に脱帽。 バス停をたがへし嫗の手をつなぎ運転手さん道渡り来る 辻田 洋美 何気ない生活の一こま。しかし平明な表現のなかに人の優しさがしっかり描かれている。いい話だ。 みじかびのビニール傘でかんかんと地を打ちながらびつこ引きゆく 長谷川知哲 みじかめの、とやれば何のことは無い、分りやすい。しかし、みじかびのきゃぷりきとれば、という古典から取った初句が味がないこともない。 2009年 11月 11日
![]() 長老格の小高賢さん、花山多佳子さん、三井修さんを始め、中堅の松平盟子さん、千々和久幸さん、森山晴美さん、沖ななもさん、若者の大松達知さん、佐藤弓生さん、森本平さん、梅内美華子さんほか、まだまだ大勢!なんとも凄いメンバーでした。そんな全員の方が、歌集の批評を丁寧になさって、貴重な会でした。 村田さん、柚木さん、本当に御出版、そして記念会、おめでとうございました。 写真中央の演壇で、会を始めるにあたって挨拶なさっているのが、短歌人発行人の中地俊夫さん。大勢のスピーチと批評のあと、乾杯をして、それから豪華なお料理がでてきたのでした。 二次会はまたまた盛況で、50人近くの方々で、神保町「酔の助」に繰り出したのでした。 ![]() 2009年 11月 03日
くねくねと二メートルなるヘビ瓜はヘビになりたい瓜の姿か
渡辺 幸子 当たり前のことを、あらためて言われて面白い、そういうジャンルの歌になる。しかし下の句の突き放した言い方がうまい。当たり前のことは知らんぷりして言うと歌になる。 暑いから接吻は嫌と逃げ回る妻を抱き締め頬ずりをする 田所 勉 逃げ回る、この1句が素晴らしい。これがすべて。逃げ回ったんだと光景が、いやでも目に浮かぶ。結句で接吻をしたと言わずに頬ずりで止めた抑制が、また効いている。名歌の目録にいれる。 2009年 11月 01日
![]() 朝起きたらゆふべあんなにしてくれた男がゆうたお前だれや 矢嶋 博士 矢嶋さんに合う写真を選んでみた。これくらいじゃないと釣り合わない。この歌は、作者名があると無いとでこうも変わるかという好例か。矢嶋さんの歌かと思うと、なんともエロい、それもあっけらかんとした。 無花果を食(たう)べし指にまつはれる魔女の訃音のやうなねばねば 高島 藍 下の句の比喩にひかれる。ただ、ねばねばとまでは。無花果好きとしては、あの美味しい果物に失礼だろうと。おそらく少し腐っていたのだろう。あるいは作者の感覚が執拗にねばねばを感じるのか。 雨のなか傘をささずに犬歩む渋谷道玄坂あめのゆふぐれ 渋谷 知子 出るべくして出た発見。犬が傘をささないで歩いている。あれだけいろんな服を着たりしているのに、濡れるだろうと。一方、そんな時勢に、雄雄しく裸で雨の中を犬が歩いていると。歌の取り方としてはどちらでもいいのだと思う。助詞を意図的に外した表現が効いている。 2009年 10月 30日
気づいたうちに書いておこうと思う。
今丁度、「短歌研究」の作品季評として、小池光、島田幸典、中川佐和子三氏の批評が載っている。 冒頭には、それぞれの評者の採点が星で掲載されている。知らない人の為に書くが、三人のメンバーはどんどん替わる。毎月三作品が批評のまな板にのぼる。採点は星一つ、星二つ、星三つで表す。 今までこの作品季評をだいたい読んできたが、殆どの評者の採点基準はこうだ。 星三つ - 素晴らしい 星二つ - いまいちだ 星一つ - 劣っている つまり、星二つの場合、他の言い方をすれば、「あえて貶さないが、良い評価はし難い」という感じか。 ところがである。 小池さんの星二つは違う。かなりいいという意味だということが分ってきた。 殆どの評者とは、どうも違う。 2009年 10月 10日
十八階バー「セデュース」の賑はひに誘惑さるるまでを楽しむ
藤田 初枝 セデュースは英語で「誘惑する」。2首目にこんな歌が。「梅雨寒に肌も心も震はせて独り駅舎の壁に凭るる」この歌があるので、掲載の歌はただ明るいだけではないということが分る。 滝壷に落ちれば助からないはなし寝ながら祖父の話してくれし 大越 泉 滝壺はとっても深くて水流が底へ押しているので、二度と上がってこれないという話は、子どもが必ず一度は聞くはなしであるような、そう思いださせる歌。大越さんは、子ども時代と今を自由に行き来している。 海に来て水着でいても眼鏡かけるあなたを思うでしょう来年も 谷村はるか 今月の谷村さんは大人しい。そういうこともある。だれにもある。彼女の尖った歌も、大人しい歌も、それぞれ味がある。眼鏡かけるの1句がとても効いている。 これまでのすべてが夢と言われても受け入れるだろう アロエが咲いた 猪 幸絵 猪さんのお父上の郷は一村みんな猪という苗字らしい。猪さんというひとがとてもよく出た歌。夢とアロエが不思議に釣り合っている。アロエの花はちょっとサボテンのような超自然てきな雰囲気もある。 ただいまと言ひて応ふるひとをらぬ七年ここより帰る家なし 近藤かすみ 帰る家があるのは人にとって僥倖。しかし、ひとはいつも寂しい。それを詠った。 効果的治療法なしわが疲れ一手に引き受け壊れる目玉 大橋麻衣子 壊れる目玉、これは大ごとだ。ひとごとながら心配になる。なんとか疲れを取る方策を採って下さいと思う。なにかしら生活習慣病に関わることか。セカンドオピニオンもサードオピニオンも、或いは代替医療もあらゆることを是非試して。壊れる目玉の1句が強烈に目を引く。 大衆性があるとはいうが実際は大衆性しかなかったりする 松木 秀 常日頃当たり前だと感じていることを、部屋の中から鋭く切る込んでくる松木くん。これも笑ってしまった。しかし作者の批判精神がここにある。 ゆきちがふ電車を待てる四分間いま降りし人は跨線橋ゆく 吉岡 馨 自分の周りにある時間と場所が静かに言葉に置き換えられてゆく。空気感がある。すると詩が生まれる。そんな歌。訴えないと、あるイメージが立ってくる。 2009年 10月 08日
![]() 台風18号は、単線の吾が在来線を不通にしている。ぽっかり朝の時間が空いて。 これ以降はどう生きやうが私の勝手髪も眉毛もついでに耳も剃り 斎藤 典子 どきっとさせられる。結句はゴッホを意識した言葉であろう。勝手だから、突き詰めれば狂気だってなんだってやってしまうぞという、言葉を空に向かって投げつけるような迫力だ。真面目な人間ほど思い切ったことをやる。 耳の裏側くすぐり逃げてゆく風の 人間好きの風かうらやむ 柚木 圭也 斎藤典子さんに比べて、一転おとなしい。しかしおとなしいだけではなく、下の句に作者の屈折がある。人間好きをうらやむという心持は、弱くて正直で優しい。 いづへにかわれは帰らむ霧流れ風車ゆき此処をいづこと知らず 酒井 佑子 此処を知らない、そして行く先もしらない。こころの中身を現世の天女が静かに詠った。 数億年ひかりとみづは待ちまちて今わが前に娘在らしむ 本多 稜 壮大なイメージを現実に引き寄せて、作者の実感を詠った。なんという実感。感じ入る。 ミンミンとアブラゼミ聴きわけながら堪えきれず声あげてしまへり 岡田 悠束 堪へ、の誤植か。堪え切れずに声を上げてしまった、これに読者はなんともいえない共感をもつ。理由を言わないのがいい。 永遠に中年のまま生きようか黒糖焼酎ちみちみと舐め 森澤 真理 そうだそうだと共感する。中年をよいものとして開き直っているのがいい。自他に対する愛がある。ちみちみが泣ける。 請求書おくりおくられ帳尻をあはせなんとかくらしてゐたり 宇田川 寛之 共感はむろん、なんというか尊敬まで生じる。この誠実、正直な感じ、そして表現。みんな大変だから。 用水路のザリガニ元気か今日われはたった一人の墓参りに来た 今井 千草 短歌人10月号のスピーチタイムでは、夏の全国集会での選歌の集計などをしてみたが、ここまで読んできて、やはり編集委員、同人1の歌人はモノが違うという思いが強い。表現のレベルが高い。 選歌で民主的に等価値の一票をもらって投票するが、あれはあれ。歌のレベルはまた違う。あれは、人気投票として評価すればよい。 墓参りにきてザリガニにこんなふうに話かける、いかにも歌人らしい。生き生きしている。時流に縛られない。 ワインの壜にぎゆっと栓してゆらゆらの草の時間もこれでおしまい 木曽 陽子 温かいものがしみじみ伝わってくる歌。その場のことであるようで、一生のことをも言っているような柔らかいふくらみもある。 けふは悪い方のタカサワが出るらしい良いシホは黙る歌会の席 高澤 志帆 実はこんな風に思っている出席者が、歌会の席に沢山いたら、うかつに発言もできくなってしまう。どんなところでも歌が出来るお手本のようだ。自分を見る目が、独特で新鮮。 永遠に終わらぬごとき炎天に等身大のガンダムが立つ 藤原 龍一郎 藤原さんは時代を読ませたらピカ一だ。多分東京の台場に仕事場をお持ちだから、最も時代に敏感な土地柄で、そのときどきを詠む。このガンダムも、将来にわたって残る歌になるような気がする。同時に、時代の先端を詠うと、常に古さも一緒についてくるような錯覚もある。 2009年 10月 07日
![]() 10年に一度の台風がまさに接近中の今夜、感激した歌を掲載する。 裸になりてこの朝シャワーをあびるとき「青い山脈」一番うたふ 村田 耕司 裸にならなければシャワーは浴びられない。それを朴訥に確認する上の句。感情を排して叙述した下の句がいい感じ。青い山脈の素材勝ち。 わが娘ならぶつとばしたき黒色のスリップドレスの女目のまへ 川井 怜子 まあまあ川井さん、抑えて抑えて。いくつ位でしょうねえ。この方。男親ならまた詠み方が違ってくる。 小野さんがこのさんであること今日知りて小野さんを知らない人にも告げる 久保 寛容 確かに知らないですね。小野さんを小野さんと読むとは!味の利いた歌。面白い。 越のひと伊豆にすまひて伊豆生のわれを出迎ふ来宮の駅 針谷 哲純 当地で、蒔田さくら子さん主唱の合宿を行った際の歌。実はわたしの家で挙行。来宮でまづ吟行をしましたのです。そこでみなさんを待ち受けた知哲がいたと。情報がとても多いのに上手くまとめた歌。 公園に裸のマハによこたはる白猫(はくべう)の股から目を外らされぬ 矢嶋 博士 矢嶋さんは助詞に味がある。マハにのになどは曲者で味わいがある。まことに正直に股を見続けている。 坂道の青柳町より海へ出て啄木の墓へまはりて帰る 長谷川 知哲 きっと函館のことでしょう。啄木と言えば青柳町というくらい有名な青柳町。上手く使った。作者の動線がはっきりしているのが多分良い。 全身の倦怠感に怯えつつそれでも生きる もう少し生きる 渋谷 知子 気持ちの表現、高齢の渋谷さんのこの正直な述懐。 下の句がすばらしいし、元気をもらう。 是非もう少しと言わず、お元気に。 八月のかどの八百屋の日除け幕風をはらめばトマトかがやく 本田 鈴雨 軽快な歌。八と八が効いている。韻律がよくて、無駄なことを言っていないところが高感度高し。 小さければ小さくにほふ往き過ぎの植ゑ込みにきつと仔猫のむくろ 勺 禰子 幻のような現実のような、そのあわいが優しい言葉で詠われている。 とても優しい。 ネコ繋がりか。 草原をわたりてきたる風のやうな君の帰りを窓の辺に待つ 春野 りりん 中央アジアのステップのような、からっと乾いた風。 待つことは至福だ。 それを思い出させてくれる歌。 てのひらを拡げてみれば草蜘蛛はいつの間にやら綿毛となりぬ 芦田 一子 一見普通のようでいて、不思議な歌だ。 草蜘蛛が消えて綿毛となった。 上の句がとてもいい。 音もなく六月の空にひらかれてあなたの傘がビルを出てゆく 中井 守恵 傘に焦点をあてて、かえって「あなた」に対する作者の思いが出ている。 若々しい相聞。 2009年 10月 06日
![]() これが貸切の1両。 机が何客も持ち込まれ、マイクも装備。 挨拶のあと、個人個人の自己紹介もあり、電車は車掌さんの挨拶のあと どんどん街の中をすすむ! お菓子が回ってくる。 飲み物の回ってくる。 お題が発表される。 ええ! 駅名を詠み込んで即詠~! そんな、いきなり~ しかし、用紙が回ってきて、それぞれ思いに深深と沈み込む。 と? それは1瞬。 またわいわいがやがや。 なんとも素晴らしく楽しい歌会! 関西のみなさん、ありがとう! 2009年 10月 02日
![]() ちょっと、自分が短歌をよむのがイヤになった。 なぜ? 短歌人10月号の冒頭、「秋のプロムナード」として同人1・2から8人が各15首づつ出している。 その最初の3人である。 内山晶太・川本浩美・大谷雅彦 これがちょっと凄い。上手いの先へ行った人たちである。 その後に有沢蛍さんの15首が直ぐ来るのであるが、あれだけ短歌の上手い有沢さんの歌が平凡に感じてしまう。それくらい、この3人はすごい。 無駄な言葉が一言もない。言葉がことごとく張っている。 誰かに似ている、類型的だという感じが毛ほどもない。それぞれ極めて個性的だ。 オリジナリティーを持つということは如何に困難なことか。 しかし、この3人はオリジナリティーをしっかり作っている。 現在の総合誌に出て来るすべての歌人群のどこに持って行ってもおそらくぴか一だ。 これらの短歌をみて自分を引き比べ、イヤになったというわけである。 しかし、広い世界で、いろんなこともあり、いろんな人もおり、へこたれずにやっていくかというのが正直なところだ。 10月号では、ほかにいい歌を沢山読んだ。 その掲載はまたのちほど! 2009年 08月 29日
![]() 今朝摘んだ花のにほひの中にある遠い昔と未来の記憶 勺 禰子 人は静かにこの下の句のような感覚を思うときがあり、それが大切なときだと思わせてくれる歌。 ゆつくりと雨がズックに沁みとほりあしおと深くなる夜のはじめ 小島 厚子 技巧に裏打ちされて、作者のふところの深い感じが伝わってくる。結句にも余韻あり。 庭すみにふたりしづかの花むらは白くほそほそそれぞれに佇つ 永井 秀幸 静かな歌だが、下の句で作者がとてもよく出ている。とくに結句は作者の気持ち、目が表れている。 買出しを終へて戻れば廊下まで賑やかな声が聞えてきたり 長谷川知哲 どうということもないことが素直に詠われていると言えば言える。スーツケースいっぱいの二人の買出しと部屋で待つ仲間が懐かしく思い出される。 たうがらしむむつとふりてほれぼれと團十郎がうどんを食ふも 川井 怜子 目の前でみているのか、CMか?いづれにしても、団十郎の生き生きした姿を表現する手腕は出色。かな書きが効果的。 自転車に道を譲れば会釈する母に倣いて児も続くなり 渡辺 幸子 町中で出会う普通のことのなかに、ほのぼのとしたありがたみが感じられる。 六月はわが生まれ月美しき死者も出て来よおぼろ月夜は 佐山みはる 月が三度出て来るきれいな歌。死者といいつつ、暗い感じがしない。 「会のたより」に珍しく写真が掲載された。北海道集会・函館歌会を終わってほっとした時を捉えて、その建物の中央に位置する階段を占拠。盛況であった。函館もいいところだ。 2009年 08月 19日
![]() まだ梅雨の気配の残るある日、 帰宅して、室内に干してある洗濯物を取り入れようとする。 洗濯物に近づく。 Tシャツをみる。 パンツに手をかける。 バシッと足に鋭い痛みが! ん、押しピンをぐさっと踏んだ? 床を見る。 ーーーーーー。 お、おおムカデが。 一目散に逃げようとしている。 急いで叩くものを探す。 なにもない。 雑誌も新聞も。 ん、ああ! ピアノの下へ。 万事休す。 ん、踏んだのか? 明日の短歌人夏季集会へ、足が腫れて行けなくなる? 想念が駆け巡る。 みるみる、激痛が足首からふくらはぎまで、、、 ........................................................ それから2週間。 遂に現れた。 だいたい、室内にはほとんどムカデの食べるものは無いはずだ。 なにを食って生きるのか? 必ず出てくる、そう思っていた。 もしかしたら、どこかの隙間から室外の大自然へ還る? 密かには、そちらを欲したが。 テレビを見ながら床の絨毯に座って、脚を前に投げ出していた。 両手は後ろについている。 左手に、瞬間痛みが! 反射神経で手を引く。 また刺されたか? いや。 触角で刺した?触れた? 予て心の準備をしていたように、ハンマーを取りに。 部屋の真ん中であるだけに、おおムカデは逃げるに逃げられず。 仇! 毒針のある先端を一撃。 ......................................................... しかし、なんという痛みか。 夜は寝付けず、翌朝まで続いていた。 小ムカデならばよかったのであろうが。 Oh, むかでの顛末 2009年 08月 15日
![]() きのふ飛込自殺ありけり西永福5号踏切春の大底 酒井 佑子 主観をなにも入れないで読むから、事実の強さが一層浮き彫りになる。結句に個性と思いあり。 親切な友人の友人もまた親切だった 鰻をおごる 青柳 守音 親切というあり方の大切さが淡々と表現される。ぼくもおごってほしい。 薔薇色の痣刻々と増やしつつ里村明衣子(ベビーフェイス)追い詰められぬ 森澤 真理 アジャコングとの戦いの様子を活写する。真理ちゃん自在。 英語ペラペラになつて帰り来し幼子に日本語で言へとぢぢばば怒る 中地 俊夫 今度はばばまで歌に動員して、孫に反抗している。いや説諭か? この宇宙にカラスと二人きりならばきっとカラスを愛す(あいさぬ)るだらう 真木 勉 旧かななら「きつと」だろうが、真木さんのルビには驚いた。こんな技があったかと。 覗くほどゆらゆら退る井戸水にいちじく投げし七歳(ななつ)のわたし 川井 怜子 覗くほどに退るという不思議な言葉が、古い記憶をなんだか呼び覚ます。 死に近くなりたるかなやこの日頃女体の象(かたち)を思ふ路上にても 矢嶋 博士 妙に共感したので、つい採ってしまった。 アトラスの送電塔に担われし電気貰ひつアイロンのため 吉岡 馨 大きなことを詠って小さなことを表現する。作者の気持ちが地にあることが好ましい。 歯科医院待合室のブランデンブルグコンツェルト3は心臓に来る 大越 泉 結句の一言がすべて。この言い方で作者の像が立ち上がってきた。 2009年 08月 15日
![]() ![]() 猪は牙と鼻で、いくらでも地面を掘る。 おおい、かんべんして、と思うほど掘る。 ただ、帰宅時点で会うことは勘弁して欲しい。 まっすぐ突進してくるらしいし、けが人も沢山報告されている。 ともかく大きい! 一度だけ、網代の家の下の道で見た! クルマで夕方通りかかったとき、ライトの中でなにか、大きな生物が? ん? 犬? と思いきや、うろうろする巨体は猪だった。 玄関前のアプローチをすべて掘り返して、何を食ったのだろう。木の根?鼠?もぐら? Handmadeの郵便ポストは折られて半分に。仕方なく道に立てかけておいた。 猪の食料事情が好転することを祈る! 2009年 08月 12日
![]() 昨日、早朝5時7分にぐらりときて、目が覚めました。 これは通常の地震ではないと感じて、瞬間にベッドの陰にかくれて、次の瞬間には手近の本棚を右手で押さえていました。 家の柱と言う柱がぎしぎし音を立てて、これ以上いったら家は壊れるという想念が頭をよぎりました。幸い、1分ほどで被害も無く終息。 ほっとしました。 家の中には棚や重ねた本などが散乱していましたが、実害なし。電話やメールやMixiでもご心配頂いて、この場にてあらためてお礼申し上げます。 震源は言わば西伊豆の海の先になりますから、この熱海には伊豆の山々がいくらか陰をつくってくれた形です。 これだけ大きな自然の脅威に接すると、人間の本源的な無力さが思われて、悲しい気持ちになりました。地球が高速で自転飛翔しているかぎり、巨大な大地の継続的なゆがみは避けようがありません。 2009年 08月 11日
![]() 短歌人8月号20代・30代会員競詠は、いい作品が沢山あった。 なかでも、勺禰子、中井守恵、春野りりん、3氏の作品は光っていた。 雷鳴も生駒の腹も潜りぬけ君は私を抱きしめに来る 勺 禰子 なんと率直な歌か。漢字の使い方も真直ぐで、これ以上ないという相聞の歌。雷鳴も生駒の腹も、作者の納得がそのまま読者に伝わってくる。 わが猫がすたんすたんとあけぐれを歩みいるおと また目をつむる 中井 守恵 結句に瞠目して脱帽した。 猫の様子を描いているところを、すっと自分の身体性のところへ引っ張ってくる。このカメラにしたらすっとスパンしてくる呼吸。絶妙。高い技法をこんなにやすやすとこの人は使う。 さらさらさら更紗うつぎの降る下でほほ笑むこころ取り戻したり 春野 りりん この作者の語彙語法も瞠目に値する。当たり前の、しかし大切な内容をさらりと詠ってのける手腕。この明るさを、読むものは素直に喜ぶ。 ほかにも沢山いい歌があった。20代、30代という年齢が眩しい。 酔ひどれて妾の名前を連呼するひとを父親と我は思はず 安斎 未紀 率直な詠いぶりに共感するところ多。「小文・わたしの好きな動物」がふるっている。曰く、「けだものは嫌いだ。--。」 ファミレスのコップの水に浮いている根元までよく染まった赤毛 生野 檀 説得力がある。その通りにあるよね、と思わせる。 思わせるほどに詠いえるというのが凄い。 根元まで、というのが作者独自の着目点だ。 鋭い。 六本木でしか遊べない保守的(コンサバ)な欧米人の肉のはみだし 谷村 はるか この一見意地の悪い見方、しかしまさにあるだろうと思わせる一面を突いている。一面の意地悪さは、作者の承知の上の話で、結句の「肉のはみだし」という意地悪さの極みで唸らせて歌になった。日本人だってぼくらだってきっと悪く言われているよなと想像が飛んで、粛然となった。 2009年 08月 05日
![]() つくばはちょっとアメリカの町のようだった。それも東のアパラチア山脈付近の学園都市風。 たった二日間だったとは思えない。 イヴェントに次ぐイヴェント。 人は133人。講師の穂村弘さんをいれて134人。 講演は極めて刺激的だった。 それぞれの人が違った受け止め方をしたようだし、そこが短歌人っぽい。 ぼくには、とても自然に腑に落ちた。 歌会は和やかななかに辛辣の胡椒が効いて、面白い批評を各所で聞くことができた。 ぼくらがささやかに作っている新人会も、今後の意欲的な計画の骨子を話し合うことができた。 当たり前のようで、しかしこれはちょっと凄いと思った。 写真は二日目の最後のパーティ、すなわち「さよならパーティ」。 それでもこんなに大勢の短歌人のメンバーが。 これは何回目のパーティだったろう? ぼくにしたら4回目だった? 初日のオープニングパーティーは、着席の豪華版。 そのあと、同じホテルオークラでの公式「深夜サロン」 そのあとは解散して、すべてプライベートの集まり。 ぼくらは、同じオークラのホテルエポカル(建物が違うけれど、殆どのひとの宿泊場) に戻って、そもそも出来上がっている人ばかりなのだけれど、口コミでどんどん ぼくの部屋に集まったらしく、少し遅れて入ってみると、 ビジネスホテルのシングルの部屋なのに、なんと17人入っていた。 ともかくおちゃけと非おちゃけと、つまみと氷を、だまっていても誰かが調達してきていて 立錐の余地もないほどの部屋では、あちこちからグラスを持ち寄って、 「まあまあ、どうぞ!」などと勧めあい、譲り合い、 それからあっという間の2時間ほどを、その満員電車のような部屋のなかで、 楽しく、ちょう賑やかに過ごしたのであった。 ぼくはみんなが座れるように(決して無理だけど)、立てるように、 1人に一つグラスが回るように、おつまみがちゃんとあるように、なんて 心配のフリをしつつ、ビールを飲みながら周辺の友人たちと話していた。 そしたら、10分くらいして初めて小池さんも奥のほうに居ることがわかった! なかほどでは、カスミンがフラを披露してくれて、これがおそらく30センチ四方のフリースペースしかないなかでの披露だから凄い。 小池さんもちょっと感激していた。 そういえばグラスがたりなくてオノザワさんは氷用のペールでそのまま焼酎を飲んでいた。 彼もすみにおけない。 実際は、いちばんすみのドア付近だったけれど。 入り口まで来て帰ったひともあったようだと翌日聞いた。 しかし、ホテルもおどろいたことだろう。 円満に解散。 遅くなりました、と思ったら、 みんなが殆ど帰って、数人になったところでN井さんが到着。 おいおい、丑三つ時だよ。 「はい、眠ってしまいました。起きたらこの時間だったので、お尋ねしてきました。」 それから、またまた楽しいおしゃべりをしばし。 しかし、このなんていうの、 短歌人の人たちのパワーって言うものは、 互いにプラスに刺激するなあ。 日ごろの鬱屈が指の先から飛んでいく、そんな気分をみんなに齎してくれる、 そういう集まりがあるんだという、奇跡のようなおはなし!
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