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2010年 02月 10日
朽ちて虫に喰はるる夜も鳩尾に黒い目の犬を抱けり男
酒井 佑子 壮絶な歌である。であるが、ちょっと見には分らない。なにが壮絶か。 朽ちて、死んで。埋められて、土葬が象徴的にイメージされている。その男が、愛犬を鳩尾、すなわち、もっともおのれの心臓に近いところに、抱いているというのだ。 酒井佑子の歌は、この執拗な感覚が、時代を超越したような不思議な雰囲気のなかで、格調高く詠われる。だれも真似できない。 2010年 02月 06日
![]() 先だって「アレクセイと泉」という映画をみた。 チェルノブイリ原発の直ぐ近くの村の話だ。其処の村には、移住を拒んだ60人ほどの老人達が住んでいる。そして若者がただ1人住んでおり、老人達の有力な助けになっている。 その村の中央に泉がある。 国の検査で、その泉だけは放射能が検出されなかった。 泉は滾々と湧き出ている。 飲み水も、洗濯も、村人は昔からすべてこの泉で行ってきた。 村人は農民である。農作物をつくり、自給自足の生活をしている。 お金はほとんどいらない。 村の景色をみていると、ミレーの絵を彷彿とする。ゴッホの絵を彷彿とする。 まことにきれいな村だ。 中世のままの生活。 現代世界で奇跡のように、自然で美しい人生を送っている。 映画では、ひとこともチェルノブイリ原発の批判は出てこない。 淡々と放射能の無い泉の生活が描かれる。 それがかえって訴えるものがある。 素晴らしい映画であった。 ひとのこころに清らかなものを運んでくる映像であった。 2010年 01月 21日
![]() 東京の神田神保町の学士会館にて短歌人の2010年新年歌会とパーティーがあった。 残念ながらカメラを忘れたので写真はなし。 140人が全国から参集した。壮観であった。 だいぶ慣れてきて、知った顔が数十人に増えてきた。 夏の会と違って、新年の会はなにか時間に追われるようにどんどん物事が進んでゆく感じだ。 人の寿命を地でゆくような趣がある。 新年歌会に先立って、早朝から付近のボウCoffee Shopにて、新人会の新年の会合を持った。 新人会も20人という大所帯になってきた。 新人会Web歌会はクローズドで行われているが、そのレベルが高いので、ネット歌会といっても 侮れない! 物事は、どんな晴れがましいことも、すっと過ぎて行く。過ぎて行くと、終わってしまう。 終わってしまうと過ぎたことになる。 当たり前のことであるが、しみじみと感じたものだ。 物事の過ぎ行きに比べて、人との繋がりはより手ごたえと充実感がある。 人は愛しいもので、哀しいもので、早晩朽ちて行くものだから、大切だ。 そんな目で、愛すべき知り合いたちを、新年歌会で見、挨拶とさよならを言った。 (写真は三が日に那須野の八幡神社でみた千年杉) 2010年 01月 21日
![]() 会員1 札入れに父は魔法をかけてゐた抜いても抜いてもいつもざつくり 朝生 風子 この作者は言葉が新鮮だ。古びていない。そこがとてもよい。若いのかもしれない。 ゆふ闇に哀しみをりぬ夕は暮るるひとは尽くとほくにをりぬ 矢嶋 博士 2句と3句で2回切れている。この2回切れの破格も、初句2句の結論の早出しも、下の句の良さがあるが為に、気にならないほどだ。下の句が味わい深い。 野には野にあるもの同士みちの辺のホトトギスをば蔓にてくくる 高橋 とみ子 韻律がとてもよい。野には野に、もうこれでポーっとする。題材も詠いぶりも、癒される。 会員2 女高生の「リアル哀しい」の声を聞くものの哀れであるはずもなく 小林 恵四郎 これはこれでうまく切り取った1首。しかし、女子高生は女子高生の哀しみがあるわけで、その時代その時代でものの哀れは変わるものだろう。 同人1 明日のため豆腐買ふことを思ひ出で理性寺の昼ひだまりにをり (りしやうじ) 酒井 佑子 明日への約束がしみじみと伝わってくる。豆腐という題材が上手い。 トリニダード・トバゴの夕陽見てゐたりまたいつの日か帰去来(かへりなむいざ) 小池 光 知らぬ間に小池さんはトリニダードトバゴに行っていた!驚く。なにげないもの言いが、心に響くようになってきた。 千代田線のシートに深く腰を下ろし幼児むずかる声を聞きおり 今井 千草 何気ないのがよい。4句は「幼児の」とのを入れるか迷うところだ。 2010年 01月 06日
![]() あけましておめでとう御座います。 今年もよろしくお願いいたします。 3が日は那須塩原温泉へ行ってきました。那須のなかでも高台の湯元地区へ。雪が道路にまで積もっていて、雪国でした。 湯がとてもよかった。硫黄泉で白濁していました。朝晩入っていたので、体中から硫黄の匂いが。 30分以上は入ってはいけないという注意書きがあるほどの、強い温泉。それも、42度に保たれていて、ぬるめのなんとも気持ちの良いものでした。 昼はりんどう湖へ。そこに牧場があり、子牛もたくさん。牛と言う動物はなんとも人懐こい。馬とはずいぶん違うものだということがよく分かった。馬もたくさん飼われていたので。 那須野へ足を伸ばして、川べりの露天風呂へ。混浴でした。 久しぶりの雪を満喫した3か間でした。那須は懐が深い。是非また違う季節に行きたいものです。 2009年 12月 31日
![]() 新しい年が始まります。 みなさまにとって良い一年でありますように、こころより祈念いたします。 最初ですからたまには自分の歌で。 浜、湊、津など海辺を思はする駅を通りて堺に 着きぬ 長谷川 知哲 阪堺電車を貸しきって行われた関西のチンチン電車吟行歌会のときのことを詠ったものです。堺と言う町へ行ったことがありませんでしたので、嬉しかったのです。天正時代、堺が都市国家のような形を作ったころは、海岸線がずいぶん違ったのだろうなあと、地名を見ながら思ったのでした。 2009年 12月 15日
![]() 日曜日の忘年会で、宴たけなわの中頃、なぜが小池さんに呼ばれてとなりの席へ。 足を悪くした歌を3ヶ月ほど出していたので心配してくれた! クレニオ・セイクラルという体に働きかける技術を(謂わば整体のごとき)もつGFに 思い余ってきいたら、直してくれた。すごい技術だ。手技。或いは体の深層にまで働きかけるチカラ。 そこで、ネフスキイ。 岡井さんのこの分厚い歌集をのなかから。 宿敵と語りしことも遠くなり今日小さなる池をまたぎつ 岡井 隆 吉本隆明が宿敵。間違いなく。それが遠くなった。時間も、そして双方歳もとった。吉本さんは大病までした。そして今日、つまり此の頃だ。小池さんと話をしたと。まだまだだぜ、小池くん。そういっている岡井さんが見えるようだ。しかし、歌にまで名前をだして小池さんを挙げる。つまり、買っている。 以上、知哲の読み。 2009年 12月 10日
![]() 雲仙岳の火砕流にて天草四郎の人物画は焼けてしまひき 山寺 修象 これはこれは。韻律への挑戦と試みです。77867となる。不思議に778、これらの字余り群は短歌のつもりで読んでしまう。ところが4句の6音でふにゃりと暖簾を押したような気分となる。字足らずの特徴だ。最後結句だけが定型7音で、それで短歌と納得させられてしまう。6音の欠落感、それがこの歌の中心だ。意味も消失であり、それと呼応しているかもしれない。 こころあそべ手足も遊べきぼうの黄きいろの花を寄せ植えしている 松崎 圭子 連作を読むと、これがなんともしみじみと悲しい歌であることが分る。松崎さん出色。その前の歌は「まず立たせ背後より抱けば胴ほそく四足歩行の夫とわたくし」。夫を介護しているのだ。 ジャムの蓋ぽかっと開いて今日われは朝雲のように気力みなぎる 木曽 陽子 一転して、まことに陽のエネルギー溢れる歌。木曽さんは、こころが少女のように笑う。純粋に笑う。笑顔がすばらしい。そういうひとが、こういう歌を詠うことができる。施しているのだ。笑顔も歌も。微笑布施。 この街の秋は早めに来るらしい自転車を降り風の道ゆく 関谷 啓子 彼女がもっている時間・季節・自然というものとの距離感がよく出ている。普通と違う。なんとなく夢の中のようで、現実感が薄いというのとも違うのだが、ふわりと自分の意識が軽いのだ。それが言葉に出ているのだから、それを文体という。 蟋蟀のしつしつしつと鳴くがあり勝手口より秋はきており 今井 千草 しっしっしっではない。しつしつしつである。結句が新仮名だから。この擬音が上手い。「が」が個性を作っている。骨格がしっかりして安心して読める。下の句の座りの良さからは、読んでいて安心がやってくる。 2009年 12月 09日
![]() 富有柿冷ややかに食む食み終える私のことは私が決める 水谷 澄子 はにかみを隠しているのに、自分を捨てたがって、6割がた捨てた風になってきた水谷さんは、そのままこの歌に出ている。 はだすすき末(うれ)も逢はむと言ひしばかり往きて反りぬ秋ふかみかも 酒井 佑子 はだすすきは末にかかる枕詞。また逢おうと言っただけで、かえってきたが、秋が深まってきた、そういう意かと思う。普通のことが大切なことに感じられる、まるで平安の時代のような雰囲気がする。 朝夕にかがみの中のしわ顔にあきらめないと練り粉ぬり込む 岡田 経子 練り粉とはどんな粉か? 女の仕草は、男には永遠になぞだ。 しかし、先住民は男がいろいろ練り粉を塗るようだし、こちらが現代病でもともとの素質を失ったのか? あきらめないと、に正直な声が出ている。 奮発しかさぶらんかの大鉢を買ひきて古希を自祝したりき 永井 秀幸 叙情のひとはかさぶらんかの鉢を買う。あの大振りな、あでやかな、西洋人そのもののようなカサブランカ。アジア人は植物に託して脱亜入欧を目指す。しかし、永井さんの古希を、この場からもお祝いしたい。 金鳥の渦巻なほも燻らせて夏惜しみをり彼岸の入りに 斎藤 寛 つまり蚊がいるということ。しかし斎藤さんは蚊には気を捕らわれず、夏を惜しむという風流心をしみじみ感じている。伊豆ではこうは出来ないなあ。藪蚊の力が異常に強いから。 淋病も梅毒さへも手馴づけし荷風の蝙蝠傘(カウモリ)どぶ板を突く 朝生 風子 荷風が眼前に現れてくるような迫力がある。結句で動きがでた。この人は独特の感じ方があり、面白い。一言いえば、ぼくなら結句は、どぶ板を抜く、にする。 2009年 12月 05日
情愛の人、また文武の人、依田仁美さんが代表編集人である『舟』を初めて拝見する。
歌人俳人詩人作家、大勢が参加している。面白い。濃い。 その中から。 「東洋的夜」 萱野原さよ 広大な熱帯の砂漠 昼と冷気と灼熱の夜 大きな麻のズタ袋に 金貨宝石こき混ぜて 運んできたのが 詩人従える商人たちでも 絶望の熱情に死ぬのはやめよう 喜びの苦渋に 瞼開く孤独だってある 梟の産み落とした満月に 亀裂はしり炸裂しても 釈迦の頭上にひらく 菩提樹の花に 水は必要だ 歌詠みの癖かもしれぬが、結句で明らかにしてしまうのを潔いととるか、蛇足ととるか。 ぼくなら削る。 魂が啼くなら蜩(ひぐらし)の声で 宮本 美津江 ひとひらの雪になるため海にゐる この人の俳句はいい。2句目などは、短歌とはこう違うということが如実にわかる。短く一つだけパッと云う。 短歌の吾、私性と、この句の吾を比べてみると、吾はしっかり居るが、説明しない分、乾いている。俳句という句形が、吾を潔くあらしめる。ちょっと羨ましい。 南無馬頭観世音菩薩とありし碑に祈るヒトを許すなかれと 宮本 美津江 しかし、俳句作者が短歌を作ると、こんどは一転して説明的になってしまう。日露戦争以来、徴発されて亡くなった軍馬の慰霊碑は日本のいたるところにある。万霊の慰霊碑もまたしかり。乱暴な論は若さに免じておく。 2009年 12月 05日
![]() ホームレスのわれに十月きていちまいのジャンパーあること慈愛は深く 矢嶋 博士 破調をどう生かしめるか。ヤシマさんの場合は、慈愛で生かしめる。あること慈愛は深く、この言いさしに作者の真情がおのずと滲み出る。隠してもだめです。慈愛の無い人は破調は成功しない。つまり形をもとめて破調を追求しても駄目だということである。 夕暮れのバス停に佇つ学生風が「俺はごとーを待つ」と言ってる 久保 寛容 演劇をやっている学生がベケットを気取って洒落を言っている。その場に作者が居合わせた。学生風、と言って学生を表すところなど手馴れている。言ってる、なども簡潔だ。 生きゆくを何があつてもたのしいと云ひきるまでのながき逡巡 水原 茜 結語が逡巡とあるだけに、それまでの表現がすっと流れることなく言いよどみ言いよどみして至るところがいい。 2009年 12月 04日
![]() 海洋堂のおまけが欲しいいとこからもらひしチョコのたたりを浄む 高澤 志帆 いとこ同士のちょっとした鞘当である。どんなおまけか、興味あり。 しかし、結句が効いている。志帆ちゃん、さすがうまい。いとこという、微妙な関係性を持ってきたのも、1首を立たせている。 翅をかう肩甲骨の上へ吊り上げ赤とんぼ飛んでゐるなり 西尾 正美 3句と4句が苦しい句またがりになっている。あるいは、ひどく破調にして3,4,5句を7・5・7と読ませたいのか。3句を次へ句またがりにするのは、ぼくの感じでは9分9厘失敗する。それは、3句のあとに自然な1拍が備わっているから。しかし、会員2に面白い人が現れた。初句のかうなどと言うところは憎い。 あの夏のわれらふたりは轟轟と水吸い上げるポプラであった 中井 守恵 われらふたりとは、自分と妹である。なんという比喩。なんというアナロジー。卓抜。 ABBAの歌 ハモって歌って盛り上がる 僕と母とで二人カラオケ 上村 駿介 中1の駿介くん、おじさんはABBAを知らない。スエーデンの音楽グループらしいのね。一字明けをしたりして、技巧を試みている。韻律がよい。 たつぷりと湛へしのちの水に挿すてつぽう百合のつぼみのみどり 春野 りりん 安心がやってくる。それは歌の座りがいいから。言葉の選び方、語順、そこに作者の風格がでてくる。なんということもないことを、歌って安心を表出させる。これくらい出来る作者は会員1・2では、この人がぴか一だろう。最近の高瀬賞の各受賞者より一段高い。 ラヂオからはノイズばかりがやむごとなき こゑなんてもの蝉は聴かない 田宮 ちづ子 表現技巧といい、テーマの取り方といい、この1首はすばらしい。今まで見た一字空けのなかで最も効果的なもの。やむごとなき こゑ、とやって、一言ですらりと通ずるものではない声が表されている。それも、その前のばかりが、で実は一度切れていて、意味上はなきこゑ、のところは切れていない。そのねじれが、テーマにふさわしい効果を作っている。 2009年 12月 02日
![]() 入りかかる日の赤きころニコライの側の坂をば下りて来にけり 『赤光』 斎藤茂吉 アララギの俊英たちに、ニコライの側の坂という把握、表現が評判がいいのは周知の事実である。確かに、そばの坂、とは当たり前のようでなかなか言えない。 ニコライは、当然御茶ノ水にあるニコライ堂である。この茂吉の歌は明治38年頃とされており、ニコライ堂周辺は今とは隔世の感があるだろう。まったく田舎田舎したものだったろうと想像する。ただ、山形の正真正銘の田舎から出てきた茂吉には、断然都会風であったのだろう。 ぼくの注目したのは、入りかかる日の赤きころ、この語順である。入りかかる、の次に直接繋がる日を持ってくる。入りかかる赤き・・とはしない。句の最初にストレス(アクセント)がある。入り、を強く言う。日の、を強く言う。初2句がそうで、4・5句も最初にストレスがくる。途中の3句は静かに読み進む。そんな微細なところで、歌の雰囲気、つまり緊密感がきまってくるのだなあと感じた。 2009年 12月 01日
昨日夢をみた。
二本立てであった。 最初はアメリカで運命の出会いをした吉田行典上人さまが出てこられ、久しぶりにお姿を拝見して、懐かしくそして敬虔な気持ちになった。 後の夢には清水房雄先生が出てこられた。お会いするのは三年ぶりか。とてもお元気で、ぼくを心配してくださっているご様子が伝わってくるので、この際甘えてしまおうと、今月の短歌人誌を走って取って来た。読んで下さって、コメントを言わずに、「ものに目を透すんだよ。」と仰ってくださった。 なくなった妻の誕生日の晩の夢である。ありがたし。 2009年 11月 14日
![]() 傘通らんが辻にやさしく受けとめてもらひぬ今を君と吾の今を 勺 禰子 傘通らんが辻を擬人法にして今と言う儚くも尊い時を詠った相聞歌。作者のものに対する気持ち、君に対する気持ちが切なく伝わってくる。「傘かしげ」をしないと通れないほどの狭い道辻なのだろう。結句9音破調の字余りがむしろ詠嘆を強くしている。いい歌だ。 代々の祝女(のろ)の吐息のみなぎれる御嶽(うたき)にて身は震へやまずも 春野 りりん 沖縄のいずれかのうたきを作者は訪れた。うたきは霊場なので、感応の強い人はだれでも反磁場の霊気を感じるものだ。正直な述懐を鮮やかに歌にした。 ほろよひの夜話に死ぬ順決めしことなどをおもひつ結婚記念日 本田 鈴雨 今回のではない以前の結婚記念日にほろよいで死ぬ順を決めたのだろう。仲良し夫婦ならばだれでも経験することで、共感がある。若者ではない、中年以降にさしかかった印のようなものだ。作者は、底に明るさがあって、それが自然に歌にでる。いいことだ。 給付金全てを競馬に注ぎこんでサッパリキッチリお国へ返す 大矢 信夫 さっぱりさが潔い。歌がである。サッパリキッチリというオノマトペがこの歌の決め所で、それがうまく行った。お国へ返すという結句の表現は作者の人柄をことばに載せてうまい。 2009年 11月 14日
![]() あぶの羽音やぶかの羽音ぶゆの羽音みみを充たして踏査はじまる 弘井 文子 なにごとかを調べる為の踏査。羽音を3度繰り返して、その裏にある現場の困難さがリアルに表現されている。ぶよだとばかり思っていたら「ぶゆ」が正式名でぶよは別称であることを教えてもらった。姿は未だ見たことが無いから不思議だ。 オーライオーライ若きこゑなどまじりゐて塵芥車ゆく秋たつ朝(あした) 川井 怜子 初句の8音がこれだけ嵌った歌も珍しい。続く2・3句がうまい。情景が生き生きと目に見えるようだ。ゑとゐの仮名の使い方も周到で好感あり。塵芥車っていうんだ。川井さんは何でも知っている!結句も爽やか。 集中力はたとそがれて一匹の蝿を叩きに椅子より立ちぬ 柊 明日香 その感じ分る分ると思いながら読む。窓から出て行ってくれれば殺さずに済むのに、などと考えている柊さんの姿が目に浮かぶ。特に一匹の以下の韻律が心地よい。 さいたま市高砂あたりの街歩く小池光にばったり出合ふ 野村 裕心 そんなこともあるんだと、僥倖を喜びながら読む。このお二人が会うのが嬉しい。その後どうしたかと思うと、こんな嬉しい歌が。「彼もまた目を見開きてよろこびぬ『やじろべえ』にて珈琲を飲む」うんうんそうだ。 夫と吾の暮らしに笑ひ声絶えて久し畳に黴の生えたり 水田 まり ちょっと驚いた。最初は上の句と下の句との因果を読んでしまったから。しかしよく考えると、湿気の多い家相であれば、梅雨時は普通に畳に黴も生える。こまめな通風が必要だ。上の句と下の句をそっけなく繋げて、この不思議な味わいが歌になった。工夫して笑ってくださいね。 水音を聞きたくなって多摩川にひとり来たれば淡きゆうぐれ 中井 守恵 守恵ちゃんには詩神が微笑んでいる感じがする。美しい歌だ。それだけでなく、愛しい感じがするんだなあ。自由に思ったままを詠っているようで、それでいて結句できりっと詩にしている。彼女には、こんな歌は、特に旧仮名で書かせてみたい。ゆふぐれ、の方が似合う。歌に流れる時間がゆるやかなのだから。 久々にキャッチボールに誘われた たまには父の相手をせねば 上村 駿介 おおっと思った。父は、たまには駿介とキャッチボールしてあげようと思ったに違いないのに。ふふ。中学一年の駿介くんは気持ちも歌も、確実に成長している。 「だんだんと逆転しますな」職退きし夫の電話が隣室より洩る 小野 さよ子 わははと笑ってしまった。同時に切なくなる。「逆転しますな」の、しますな、この口吻がなんとも夫の人柄が出ていて、結句の簡潔な物言いも効いていて、いい夫婦だという雰囲気が伝わってきます、小野さん。 2009年 11月 14日
![]() 青山近くの表参道で、デニスを始めネイティブ・アメリカン・インディアンの若者達がきて、夕方から映画会と集会があった。 アメリカ社会の中で目標を失い意気消沈しているインディアンの若者達を元気付けようと、表参道欅会の会長である山本さんが、8年ほど前からデニスと一緒にアメリカでカヌーレースをはじめた。その勝者への報奨が日本訪問の旅なのだ。 久しぶりに会ったデニスは元気で、相変わらず優しいオーラに満ちていた。若者達もすばらしい好青年ばかりで、伴った息子も感激していた。 実はその朝、青山のわたしの仕事場に、デニスと京都の医師をしているチカちゃんと二人で突然訪ねてきたのだ。それはびっくりして、感激の再会だった。おかげで一日高揚した気持ちのいい日を過ごさせてもらった。 2009年 11月 12日
![]() リーフパイ食めばほろほろくづれゆく試されて示せぬ吾が意志のごとく 洲淵 智子 自責、自省といった感情、そして歯がゆさが下の句の大幅な字余りのなかでよく表現されている。リーフパイは確かにぱりぱり崩れる。ほろほろの語感がなにか悲しい。 ぼそぼそとぼそぼそとぼそぼそぼそと穂村弘の語る正論 斎藤 寛 下の句の定型の韻律が上の句の5・5・7を支えている。仮にこれを575の定型に収めたらどうかと、この歌をみて誰もが一度は試しそう。ぼそぼそとぼそぼそぼそとぼそぼそと。557にした作者に脱帽。 バス停をたがへし嫗の手をつなぎ運転手さん道渡り来る 辻田 洋美 何気ない生活の一こま。しかし平明な表現のなかに人の優しさがしっかり描かれている。いい話だ。 みじかびのビニール傘でかんかんと地を打ちながらびつこ引きゆく 長谷川知哲 みじかめの、とやれば何のことは無い、分りやすい。しかし、みじかびのきゃぷりきとれば、という古典から取った初句が味がないこともない。 2009年 11月 11日
![]() 長老格の小高賢さん、花山多佳子さん、三井修さんを始め、中堅の松平盟子さん、千々和久幸さん、森山晴美さん、沖ななもさん、若者の大松達知さん、佐藤弓生さん、森本平さん、梅内美華子さんほか、まだまだ大勢!なんとも凄いメンバーでした。そんな全員の方が、歌集の批評を丁寧になさって、貴重な会でした。 村田さん、柚木さん、本当に御出版、そして記念会、おめでとうございました。 写真中央の演壇で、会を始めるにあたって挨拶なさっているのが、短歌人発行人の中地俊夫さん。大勢のスピーチと批評のあと、乾杯をして、それから豪華なお料理がでてきたのでした。 二次会はまたまた盛況で、50人近くの方々で、神保町「酔の助」に繰り出したのでした。 ![]() 2009年 11月 03日
くねくねと二メートルなるヘビ瓜はヘビになりたい瓜の姿か
渡辺 幸子 当たり前のことを、あらためて言われて面白い、そういうジャンルの歌になる。しかし下の句の突き放した言い方がうまい。当たり前のことは知らんぷりして言うと歌になる。 暑いから接吻は嫌と逃げ回る妻を抱き締め頬ずりをする 田所 勉 逃げ回る、この1句が素晴らしい。これがすべて。逃げ回ったんだと光景が、いやでも目に浮かぶ。結句で接吻をしたと言わずに頬ずりで止めた抑制が、また効いている。名歌の目録にいれる。
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