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2010年 07月 24日
みなさま
暑中お見舞い申し上げます。 大暑をすぎても、暦の上では目茶目茶暑い夏真っ盛りです。 どうか熱中症にくれぐれもお気をつけてください。 さて、切磋短歌Blog, 引越しをいたします。 引越しさきは: http://sessatanka.blog92.fc2.com/ 名古屋に、あるいは東京に、あるいは何れかでお会いいたしましょう。 2010年 07月 23日
![]() 猛暑は都会のコンクリートの上にある。 とはいえ、海岸ちかくの拙宅も太陽には勝てず。 連休は網代の海水浴場へ。 地元民しか来ない小さな小さな海水浴場。 ちゃんと沖には筏が二つ。 沖と言っても浜辺から20メートルにひとつ、30メートルにひとつ。 たっぷり日焼け止めを塗ったのに、一日の終わりには3人で真赤になっていた! 翌日は、二日続けてはさすがに泳ぐ気力なく、防波堤へお散歩へ。 風が気持ちよい! 釣りをする人があちこちに。 子鯖などが掛かっている。 お休みは、だれもがのんびりして、イソギンチャクなどを捜しながら、防波堤のお散歩もとても楽しい。 2010年 07月 11日
故もなく涙が出でぬ禰子さんと「またね」「またね」と言い合いしのち
中井 守恵 作者の感動がそのまま伝わってくる。臨場感あふれる率直な表現が卓抜。かなしみが溢れてくる。 みぽりんは平素スリムなジーンズを穿いて笑顔でチャキチャキ動く 田村 よしてる 連作中の一首。みぽりんは飲み屋の看板娘。みぽりんの描写に感情を交ずに詠っているところが、なんとも好ましい。 庭に咲くわたしの八重桜がいつも世界で一番綺麗と思ひき 勺 禰子 八音の多い一首。この率直な詠いぶりが好ましい。人の誰でも持つ想念雑念、それら一切を一旦はなれて目の前の八重桜を正直に詠った。それが伝わってくる。 「ニッポンハサクラガアッテイイデスネ」ガイドの丘さんはにかみて言う (丘=きゆう) 佐山 みはる 分りやすくて無駄のない歌。こういう歌がどんどん作れるといい。結句がとてもいい。 女たちはいつの世も街に紛れやすく行方知れずの青豆とリル 酒井 佑子 女達をみる作者の目がなんともやさしい。街に対しても敵愾心を持つではなく、優しさを感じる。リルは上海帰りであろうが、青豆は? ホームまで見送るための入場券さびしき春の秘色を手にす (秘色=ひそく) 高澤 志帆 若々しさが、きびきびした歌い方から自然に伝わってくる。単純化が行き届いたあたりは、作者の短歌修練がなみなみならぬものであることが分る。 ゆき帰り会釈かわしぬテント下に年賀状売りいる女性たち 小野澤 繁雄 普通の街の風景が小野澤さんにかかると、普通の街の風景となって伝わってくる。言葉に表現しようとすると大体過不足が何かしら出て、普通を普通に言えることはどちらかといえば至難だ。不思議な味。 2010年 06月 26日
![]() 今回、ぼくらは悟った。日本のサポーター、観戦者の多くが悟った。 きっかけは、スイス・スペイン戦。 あの、スイスのディフェンスはどうだ! 確信をもって、全員が有機的に連関しながら動くあのディフェンスに、ぼくらは感嘆した。 いままで、ボールの支配率が低く、攻めるシーンが少ないことを罪悪だと、ずっとぼくらは思ってきた。攻められてばかりいたら、劣勢だと思ってきた。 スイスの国際Aマッチ558分無失点という、偉大な記録が総てを物語っている。 一つの言い方をすれば、65%ボールを支配されてもいいのだ。 無失点に抑えて、35%の支配のなかで1点を奪えばよい。 相手にボールを相当支配されても、攻め込まれても、感情と理性両方のレベルで揺るがなくなった。組織できっちりディフェンスができればまったく問題はない。 監督も選手もどんどんよくなってきている。 サポーターも自ら目を磨かなければ。 サムライブルー、決勝トーナメント進出おめでとう!!!! 2010年 06月 19日
横浜歌人会の友人からお知らせがありました。
以下が内容です。 よろしければ是非どうぞ。 横浜歌人会のHPでも見ることができます。 連絡くだされば、席も確保いたします。chitetsu@hotmail.co.jp 二次会ありとのことです。 シンポジウムのご案内 『アンソロジー横浜2009』をテキストにシンポジウムを開催します。横浜らしさを感じる歌をもとに、その「らしさ」を形づくっている要素を探り、短歌表現の本質や可能性を考えます。 テーマ=横浜らしい短歌を探る-『アンソロジー横浜2009』から 日時=2010年6月26日(土) 17:30~20:30 場所=かながわ県民センター(「横浜駅」西口・きた西口徒歩5分) 2010年 06月 10日
6月6日 湯田温泉「プラザホテル寿」
歌会詠草52首 前回の中国四国集会は10年前と聞いた。 山口は高校生のとき一人旅をして萩・津和野へきて以来だ。(津和野は実は島根) 羽田から飛行機で飛ぶ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2010年 05月 30日
世界卓球の決勝リーグを見ている。
中国、日本、韓国、台湾、香港、と半分が漢字の国である。 世界ランクはドイツが2位であるが、漢字の国が強い。 経済も文化も同じことを感じる。 ものの本によると、漢字の歴史的な累積数は100万字という。 漢字は表意文字であるから、仮に2字で熟語が作られるとして、 100万掛ける100万という組み合わせがありうる。 それだけの意味の創造が可能であるともいえる。 実際に漢字国の人間が漢字を活用するのはあくまで人力だから、 人の力に懸かっている。 現代日本人にしても3000ほどの漢字を操り、その熟語を操るにすぎないが しかし、源流が遠ければ遠いほど、川は太いものだ。 世界卓球を見ながらそんなことを考える。 卓球はなんとも知力のスポーツだと感じた。 2010年 05月 14日
一念発起ではないが、仕事先のお値下げコーナーに
タラの芽と蕗の薹が出ていたので買って帰って、天麩羅をあげた。 加えて舞茸と大根と天麩羅粉ミックスも買って、万全の体制に。 こんなことは女性であれば、あるいは料理を得意とする御仁にとってみれば なんのことはない、当たり前のことであるかもしれぬ。 しかし、ぼくとしては、家内が亡くなってから初めて揚げたタラの芽と蕗の薹であった。 10年にして。 蕗の薹の苦味は、なんとも美味にして、替え難かった。 苦いという味覚は、曰く言いがたい魅力だなあ。 タラの芽のコリリとした食感も、とても惹かれた。 10年に一回こんなことをするのであるから、死ぬまでに、いろんなことは 何度やることになるのだろう。 というか、それ、いくらか日本語の散文として変ではあるが。 しかし、これではオームのようだ。 あるいはナマケモノの心境か。 まあ。 2010年 05月 09日
両岸に茶屋ありしといふ二軒茶屋跡から暗(くらがり)峠を目指す
すひかけのつつじがいきをふきかへしすひかへすやうなくちづけをする はつきりとわかる河内へ帰るとき生駒トンネル下り坂なり 勺禰子さんは短歌人の新進気鋭の若手。 若手が何歳までなのかとか、決して突っ込みはいれないように。 ぼくだって50はすっかり超えて、自意識はおさないつもりでいるわけで、その意味ではわかてのようなもの。 彼女の20首が短歌人誌に一挙掲載されている。 卓上噴水という贅沢な欄があり、会員1・2から年に10人ほどが、編集委員会から選ばれて掲載される。 20首を読みたい方は、勺禰子さんのブログへ。 2010年 05月 09日
去る4月24日には、短歌人会内で作っているぼくら新人会の主催で、石山寺吟行歌会を行った。
昼前に、京都駅近くのJR石山駅に25人ほどの参加者が集まって、瀬田川に添って京阪電車で石山寺駅へ。 旅館へ。 ![]() いくらか風が冷たかったが、なんとも気持ちのいいクルーズ。琵琶湖の中まで乗り入れる。二階はデッキになっていて、眺望すばらし。短歌人社外からMEGさんも参加。短歌人発行人の中地さんと顧問の蒔田さんもおいでくださって、素晴らしい吟行合宿になる予感あり。 遅れてきた治美も船着場でキャッチアップしてきた。合流! 「寝坊だけど、うんうんよく来た、K原!」 ![]() その足で、石山寺へ。拝観入場。 広いこと広いこと。直ぐに全員ばらばらに。 しかし、行く先々で、ふっと横を見たら誰かがいたり、誰も居ないと思って境内をさまざま興味深深にみていると、肩越しにふっと声を掛けられたり(仲間から)、25人くらいで山に散らばると、不思議なものだ。 ![]() 途中「お抹茶と団子屋」の前を通れば、中に仲間が寛いでいる。 モードの転換の早いのが短歌人。 全員無事に旅館を探し当てている。 大広間に集まって、大宴会の始まり。遠方の人は島根、長野、埼玉、東京、静岡、名古屋などなど。中地さんの御挨拶と蒔田さんの乾杯の音頭で開始。 夕食宴会のあとは、こじんまりした(それがなんとも感じよい)玄関ロビーで、旅館こころづくしの「琴と琵琶のミニコンサート」へ。これがレベルが高かった。現代音楽の琴もあり、童謡もあり、なかには「心をかきむしられた」と感動した歌人も。 ![]() つづいて短歌人恒例の深夜サロンへ。 このために、事前に旅館と交渉して酒類持込を許してもらっている。貧乏合宿を快く理解して頂いて、禰子、知哲がスーツケース持参で、寛も助っ人で、およそ50キロの飲料を京都で確保の後搬送。重い~~~! ![]() 深夜サロンは世話人の部屋へ全員が詰まり、ではなく集まり、アトラクションありフラあり、歌の朗詠あり、それぞれ気持ちの赴くまま、思う存分飲んで話して笑って転げて、楽しげ。 酒飲みがこんなに集まったのに、世話人手塩の50キロの酒とソフトドリンクの威力はびくともせず、 飲めども飲めども尽きない!外は冷蔵庫の冷たさ。2重窓の外の縁側に出しておく。 二間続きの世話人部屋は離れの一軒屋なので、声が漏れても苦情はゼロ。 みなさん、お時間の許す限り、と言ったら、最後の客が帰ってのは3時半過ぎ。世話人が片付けて蒲団を敷いたのは午前四時。 遅い。 仮眠的睡眠をとって、7時に起床。 ![]() 8時には全員が晴晴とした顔で大広間で朝食。 9時より、歌会。当日参加あり。27名の歌会。 司会は前半生沼さん、後半平野さん。 蓋を開けてみると、じゃじゃ馬、暴れん坊、苦虫、ハイパー、浪人、医者、仙人、隠者、サラリーマン、OL、いろいろ混じっていて、これはこの二人の司会じゃなかったら、えらいことにと、いまさら人知れず冷や汗をかく。 蒔田さんが宴会の挨拶でおっしゃった、「この怪しい集まりは、これはこれで面白いから、このままめげずに続けるように。」という含蓄深いお言葉が、まさに腑に落ちる。 いったい誰がまとめてるんだ? 誰もまとめてない、勝手にみんなでまとまってるんだ、という具合がおもしろい、と思う。 ![]() 総じて歌会は発言が多すぎて、「あんたは発言回数既に多いから自粛せよ」などという、司会差配の指令などもばんばん出て、鋭い歌会に。 面白い。 怪しい。 無事に終了して、チェックアウト。旅館の女将さんがにこにこ最後まで送り出してくれる。 そこから歩いて昼食お別れパーティーの会場へ。 立派な御食事処の大広間。 ここで、発言多発で時間のなかった選歌発表と賞品授与。 「こんな賞品もらうの、何年ぶりよ」などという人多し。このメンバーだと、選ぶ歌が普段と違う! ここでは飲み物は質素にしておく予定(予算が無い予定だった)が、カンパが予想を超えて集まったので、 禰子・知哲の世話人は太っ腹となってばんばんお飲み下さいばりに。(実際はビールを6本追加しただけ) 食事後、階下のコーヒーショップで、飲み物とデザートを会より負担して、お別れとする。 名残惜しい参加者は、なかなか帰らず、話も盛り上がり、やがて桜の花も時がくれば散るように、 みんな三々五々、散って帰って行く。 帰り際にはそれぞれ深々とハグして帰る人多し。 全員帰ったところで、ほっとした世話人連は、 「ぼちぼち帰るべー!」と 放心したように、誰言わずとも言うのであった。 以上合宿の顛末 2010年 05月 09日
![]() 更新のないブログで恐縮です。 一月ぶりに自分のブログをみると、毎日たくさんの、きっと友人達が、見に来てくれている。 まったく更新していないわけで、足あともゼロに近いかと思って見たのですが、あにはからんや。 つまり、心配してくださっている。 実生活が創作を上回って推移するなかで、ひとにお見せする文章を書く気がまったく失せてしまって、 用事以外では、人の文章もまた見る気持ちがなくなっています。 書くという行為はなんなのだろう。 そしてそれを人に見せる、見せたいという気持ちはなんなのだろうか。 書いて仮想空間であるインターネット上にアップするという行為は、人の声を欲する行為。でも欲求としては健康な行為だと思う。 同時にそこにアップするだけで、その瞬間に人とコミニケーションが成立している感じる、自分の中での擬似認定があるのだと思う。 簡単に言えば、人と繋がっていたいと欲する気持ちか。 これら二つは、言わば健康で普通の欲求かもしれない。 これらを欲せずにいると、 ブログの更新に手が伸びない。 そんなことで、相すみませぬ。 2010年 03月 17日
はだれ雪白き畑にさびしもよきやべつ三つが獲りのこしあり
永井 秀幸 仮に、短歌に抒情をもっとも大切な要素のひとつと考えるとき、感情語が生きるかどうかに歌のよしあしがかかってくるのだろう。永井さんの、さびしもよという表出には孤独感があって、感情語として生きている。 それは余分を削いだ下の句が支えているから。 引き出しの開け閉めのたびゼムピンが古き磁石に近寄りてゆく 吉岡 馨 感情語が皆無の歌になぜ深い感情が籠められているように感じるか。こんなモノのことに注視している作者を、読者が強く感じるから。例えば助けてと言わずぢっと耐えている人を、一層助けたくなる、そんな具合なのかもしれない。 2010年 03月 14日
おろかにてあはれなりけりなめくぢの溺れ死にたる骸をすくひつ
骸 から 酒井 佑子 仮名とはなんとやさしいものか。 結句の「つ」はなかなか収まる歌を見ない。しかし、このつはどうだ。上の句で見事に「なりけり」を齎したので、つがこのように自然に感じられる。作者の気持ちが作品のなかにある。 用務員さんが検査入院しその間は花のなかりし洗面所花入れ 小野澤 繁雄 字余りの極まった歌。しかし、洗面所の花入れ、それも花の無いそれを詠むところに、小野澤さんの独特のものがある。ちょっとひとは詠まない。中ほどの、「その間は」、これが言えそうで言えない1句だ。味わいの故に、字余りは気にならず。 産み月をひかへて友はしつとりと海を抱へて汗ばみてをり 高澤 志帆 臨月を迎える友人の様子が上手く表現されている。しつとりと、は海を抱へてにかかっている。母性を湛えた瑞々しさを、この擬態語がよく捕らえている。 ひかへて、この1語も簡単なようでよく考えられている。結句のをりは、概して失敗する例が大半であるが、このをりはうまい。 おもかるを「おもっ」「かるっ」と口にするとなるほどこれはおもかる石だ 勺 禰子 なるほどという言葉がこの歌の中で自然な按配で、その分、この歌がいい歌になっている。つまり感情語を入れないことが、大概うまくいく条件である。 このうたはなるほどで歌になった。 二日月吊らるる空をましぐらに切り裂く光り ソユーズの金色 金色 きん 春野 りりん 人工衛星は肉眼で見える。アメリカで何度か見たものだ。空がきれいでないと見えない。砂漠などはとくによい。スピード感があり切れ味のある言葉の運びが心地よい。結句が大きな世界へ広げてくれる。 わたしの家は平地から100メートルほど上った山の上にある。去年の秋は家の近くの坂道でイノシシを見たが、先日はタヌキを二匹みた。のこのこと歩く姿は、やや鈍重そうで、愛らしく、幸せにあれよと思わせた。吾が身、身巡りにも良き事のあれかし。 2010年 02月 17日
![]() カーボンオフセット五円の寄付金の年賀状書く強の寅をんな 高澤 志帆 五黄の寅は昭和25年と昭和61年らしい。ごおうをごうと、子供心に覚えた作者であろう。その話はときど聞くので不思議ではない。強の寅、も独自の造語と思えば味わいがある。結句のをんなが、とても効いている。結句で魅力的な歌になった。 日によりて配達弁当の飯かたし顔近づけて拾い食う粒 小野澤 繁雄 淡々と配達弁当の飯の硬さを語る上の句。なんとも味わいがある。それに増して作者が如実に出ている下の句。小野澤さんのまさに味わいのある1首。 姉いもうと仲良きことをよろこびて父親われに涙はわきぬ 小池 光 まれにみる、率直な小池さんの歌。直球がそのままこころに伝わってくる。ありがたさが、ありがたさとして感じられる。 「ゐるかね」と訊く電話の主は天下り果たしたといふ夫の同期 田中 よう子 初句の「ゐるかね」の導入に尽きる。うまい。電話の主と、作者、つまり妻との関係性が絶妙に表される。天下りを果したという句が初句をきっちり支えている。 一日に川ぐち橋を二度わたり生くる為事(しごと)をけふも終ふるのみ 村田 耕司 下の句の微妙な過剰感を、上の句のしゃれたモチーフで覆って魅力的な1首にしている。川ぐち橋を二度わたるというのがしみじみとして、伝わってくる。 ぢやうざいにくるまれて真夜硝子戸をひく音のしてたれかいでゆく 弘井 文子 くるまれての2句で意味上は切れている。言葉としては切れておらず言いさしで、なにものかに続いてゆく。睡眠導入剤などであろうか。そのぼんやりした意識が、たれかいでゆく、そう感受したというところが面白い。音がして誰か出て行った、それだけで詩がある。 ごめんねと言うたびわれの唇は薄く小さきものとなりゆく 中井 守恵 寂しい歌だ。自意識を詠った歌であるが、自分を客観視するもうひとりの自分がいて、そこを歌にした。 いい歌が沢山あるだろうに、今月はなかなか見る余裕がない。残念だ。ちょっと見ただけの範囲で強く心に残った歌を挙げてみた。 2010年 02月 13日
![]() 21回歌壇賞は切磋歌会メンバーの長嶋信さん。切磋の来宮さんMEGさん、そののち歌会のくもさんも駆けつけて、お祝いした。お雛様のような長嶋夫妻を中に、談笑ヴァージョンを、本阿弥書店のスタッフの方から撮っていただいた。 なんとも晴れがましい、賑やかな会で、長嶋さんの受賞スピーチが素晴らしかった。俳壇賞お二人の授賞も同時に行われ、三人の受賞スピーチがあったが、拍手は断然長嶋さんのスピーチだった。正直で、真摯でペーソスがあった。 この後の懇親会はまた人数が増え、300人近くだった。 短歌人からも、おおっというメンバーが続々と来て、蒔田さくら子さんも長嶋さんとお会いになった。 とてもとても9000円分の食事を食べる暇がなかったが(寿司を食い損ね ^^;)楽しい一晩であった。 有名俳人もアリマさんや、いろいろきてらっしゃった。 仲間からこんな受賞者も出て、切磋歌会をこつこつ続けてきて、ひとつの甲斐があったと嬉しく思った。 賞もふくめて、いろんなメリハリというのは、とてもいいことだ。 2010年 02月 10日
朽ちて虫に喰はるる夜も鳩尾に黒い目の犬を抱けり男
酒井 佑子 壮絶な歌である。であるが、ちょっと見には分らない。なにが壮絶か。 朽ちて、死んで。埋められて、土葬が象徴的にイメージされている。その男が、愛犬を鳩尾、すなわち、もっともおのれの心臓に近いところに、抱いているというのだ。 酒井佑子の歌は、この執拗な感覚が、時代を超越したような不思議な雰囲気のなかで、格調高く詠われる。だれも真似できない。 2010年 02月 06日
![]() 先だって「アレクセイと泉」という映画をみた。 チェルノブイリ原発の直ぐ近くの村の話だ。其処の村には、移住を拒んだ60人ほどの老人達が住んでいる。そして若者がただ1人住んでおり、老人達の有力な助けになっている。 その村の中央に泉がある。 国の検査で、その泉だけは放射能が検出されなかった。 泉は滾々と湧き出ている。 飲み水も、洗濯も、村人は昔からすべてこの泉で行ってきた。 村人は農民である。農作物をつくり、自給自足の生活をしている。 お金はほとんどいらない。 村の景色をみていると、ミレーの絵を彷彿とする。ゴッホの絵を彷彿とする。 まことにきれいな村だ。 中世のままの生活。 現代世界で奇跡のように、自然で美しい人生を送っている。 映画では、ひとこともチェルノブイリ原発の批判は出てこない。 淡々と放射能の無い泉の生活が描かれる。 それがかえって訴えるものがある。 素晴らしい映画であった。 ひとのこころに清らかなものを運んでくる映像であった。 2010年 01月 21日
![]() 東京の神田神保町の学士会館にて短歌人の2010年新年歌会とパーティーがあった。 残念ながらカメラを忘れたので写真はなし。 140人が全国から参集した。壮観であった。 だいぶ慣れてきて、知った顔が数十人に増えてきた。 夏の会と違って、新年の会はなにか時間に追われるようにどんどん物事が進んでゆく感じだ。 人の寿命を地でゆくような趣がある。 新年歌会に先立って、早朝から付近のボウCoffee Shopにて、新人会の新年の会合を持った。 新人会も20人という大所帯になってきた。 新人会Web歌会はクローズドで行われているが、そのレベルが高いので、ネット歌会といっても 侮れない! 物事は、どんな晴れがましいことも、すっと過ぎて行く。過ぎて行くと、終わってしまう。 終わってしまうと過ぎたことになる。 当たり前のことであるが、しみじみと感じたものだ。 物事の過ぎ行きに比べて、人との繋がりはより手ごたえと充実感がある。 人は愛しいもので、哀しいもので、早晩朽ちて行くものだから、大切だ。 そんな目で、愛すべき知り合いたちを、新年歌会で見、挨拶とさよならを言った。 (写真は三が日に那須野の八幡神社でみた千年杉) 2010年 01月 21日
![]() 会員1 札入れに父は魔法をかけてゐた抜いても抜いてもいつもざつくり 朝生 風子 この作者は言葉が新鮮だ。古びていない。そこがとてもよい。若いのかもしれない。 ゆふ闇に哀しみをりぬ夕は暮るるひとは尽くとほくにをりぬ 矢嶋 博士 2句と3句で2回切れている。この2回切れの破格も、初句2句の結論の早出しも、下の句の良さがあるが為に、気にならないほどだ。下の句が味わい深い。 野には野にあるもの同士みちの辺のホトトギスをば蔓にてくくる 高橋 とみ子 韻律がとてもよい。野には野に、もうこれでポーっとする。題材も詠いぶりも、癒される。 会員2 女高生の「リアル哀しい」の声を聞くものの哀れであるはずもなく 小林 恵四郎 これはこれでうまく切り取った1首。しかし、女子高生は女子高生の哀しみがあるわけで、その時代その時代でものの哀れは変わるものだろう。 同人1 明日のため豆腐買ふことを思ひ出で理性寺の昼ひだまりにをり (りしやうじ) 酒井 佑子 明日への約束がしみじみと伝わってくる。豆腐という題材が上手い。 トリニダード・トバゴの夕陽見てゐたりまたいつの日か帰去来(かへりなむいざ) 小池 光 知らぬ間に小池さんはトリニダードトバゴに行っていた!驚く。なにげないもの言いが、心に響くようになってきた。 千代田線のシートに深く腰を下ろし幼児むずかる声を聞きおり 今井 千草 何気ないのがよい。4句は「幼児の」とのを入れるか迷うところだ。 2010年 01月 06日
![]() あけましておめでとう御座います。 今年もよろしくお願いいたします。 3が日は那須塩原温泉へ行ってきました。那須のなかでも高台の湯元地区へ。雪が道路にまで積もっていて、雪国でした。 湯がとてもよかった。硫黄泉で白濁していました。朝晩入っていたので、体中から硫黄の匂いが。 30分以上は入ってはいけないという注意書きがあるほどの、強い温泉。それも、42度に保たれていて、ぬるめのなんとも気持ちの良いものでした。 昼はりんどう湖へ。そこに牧場があり、子牛もたくさん。牛と言う動物はなんとも人懐こい。馬とはずいぶん違うものだということがよく分かった。馬もたくさん飼われていたので。 那須野へ足を伸ばして、川べりの露天風呂へ。混浴でした。 久しぶりの雪を満喫した3か間でした。那須は懐が深い。是非また違う季節に行きたいものです。
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