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2008年 03月 22日
路傍に打ち棄てられし支那馬には砲弾に腹ゑぐられしもあり
頑強なる抵抗をせし敵陣に泥にまみれしリーダーがありぬ 渡辺直己は、大正15年、広島高等師範に首位入学。5年後、卒業とともに呉市立高等女学校教諭となる。6年間の最も幸福安寧な生活の後、徴兵応召し、陸軍少尉、小隊長として北支戦線へ出兵。 戦争という極限の機会に接して、リアリズムを通して、数々の秀歌をつくる。 2首目のリーダーとは、英語の教科書のことである。敵陣にいたのが少年兵であることが示唆されている。 歌だけでなく、日記や新聞に寄せるエッセーは秀逸洒脱。 戦陣にあるという環境を考えるとき、自分を客観化して書きつける、健全で強靭な精神に脱帽するしかない。 こんな、彼の新聞寄稿がある。 「・・・翡翠の耳輪をさげてハイヒールを穿いた美しいクーニャンがピシリ手鼻をかんで颯爽と去つて行くなんか蓋し支那の秀逸だらう。・・・・」 (呉新聞 昭和13年6月某日) 渡辺直己の日記を読むとき、彼が人間的に、人間的に戦場の職分を果たして、その果てに戦死していったことがつぶさに記されている。 兵士が悪いのではない、その戦争を決定して推進加担する勢力に真の罪があることがわかる。兵士は強制的に加害者にさせられる被害者だ。 中国は大日本帝国の侵略を遂に跳ね返した。それが、今はチベット族のデモ隊に無差別の発砲をして武器力で圧殺しようとしている。 ぼくらは、世界は、いかに、戦争・武力戦の発生を封じるか、渡辺直己の歌を読みながら、あらためて思う。
by cchitetsu
| 2008-03-22 20:45
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