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2010年 03月 17日
はだれ雪白き畑にさびしもよきやべつ三つが獲りのこしあり
永井 秀幸 仮に、短歌に抒情をもっとも大切な要素のひとつと考えるとき、感情語が生きるかどうかに歌のよしあしがかかってくるのだろう。永井さんの、さびしもよという表出には孤独感があって、感情語として生きている。 それは余分を削いだ下の句が支えているから。 引き出しの開け閉めのたびゼムピンが古き磁石に近寄りてゆく 吉岡 馨 感情語が皆無の歌になぜ深い感情が籠められているように感じるか。こんなモノのことに注視している作者を、読者が強く感じるから。例えば助けてと言わずぢっと耐えている人を、一層助けたくなる、そんな具合なのかもしれない。
by Cchitetsu
| 2010-03-17 11:40
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