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2010年 05月 09日
更新のないブログで恐縮です。 一月ぶりに自分のブログをみると、毎日たくさんの、きっと友人達が、見に来てくれている。 まったく更新していないわけで、足あともゼロに近いかと思って見たのですが、あにはからんや。 つまり、心配してくださっている。 実生活が創作を上回って推移するなかで、ひとにお見せする文章を書く気がまったく失せてしまって、 用事以外では、人の文章もまた見る気持ちがなくなっています。 書くという行為はなんなのだろう。 そしてそれを人に見せる、見せたいという気持ちはなんなのだろうか。 書いて仮想空間であるインターネット上にアップするという行為は、人の声を欲する行為。でも欲求としては健康な行為だと思う。 同時にそこにアップするだけで、その瞬間に人とコミニケーションが成立している感じる、自分の中での擬似認定があるのだと思う。 簡単に言えば、人と繋がっていたいと欲する気持ちか。 これら二つは、言わば健康で普通の欲求かもしれない。 これらを欲せずにいると、 ブログの更新に手が伸びない。 そんなことで、相すみませぬ。 #
by Cchitetsu
| 2010-05-09 13:31
| 今日この頃
2010年 03月 17日
はだれ雪白き畑にさびしもよきやべつ三つが獲りのこしあり
永井 秀幸 仮に、短歌に抒情をもっとも大切な要素のひとつと考えるとき、感情語が生きるかどうかに歌のよしあしがかかってくるのだろう。永井さんの、さびしもよという表出には孤独感があって、感情語として生きている。 それは余分を削いだ下の句が支えているから。 引き出しの開け閉めのたびゼムピンが古き磁石に近寄りてゆく 吉岡 馨 感情語が皆無の歌になぜ深い感情が籠められているように感じるか。こんなモノのことに注視している作者を、読者が強く感じるから。例えば助けてと言わずぢっと耐えている人を、一層助けたくなる、そんな具合なのかもしれない。 #
by Cchitetsu
| 2010-03-17 11:40
| 今日の1首
2010年 03月 14日
おろかにてあはれなりけりなめくぢの溺れ死にたる骸をすくひつ
骸 から 酒井 佑子 仮名とはなんとやさしいものか。 結句の「つ」はなかなか収まる歌を見ない。しかし、このつはどうだ。上の句で見事に「なりけり」を齎したので、つがこのように自然に感じられる。作者の気持ちが作品のなかにある。 用務員さんが検査入院しその間は花のなかりし洗面所花入れ 小野澤 繁雄 字余りの極まった歌。しかし、洗面所の花入れ、それも花の無いそれを詠むところに、小野澤さんの独特のものがある。ちょっとひとは詠まない。中ほどの、「その間は」、これが言えそうで言えない1句だ。味わいの故に、字余りは気にならず。 産み月をひかへて友はしつとりと海を抱へて汗ばみてをり 高澤 志帆 臨月を迎える友人の様子が上手く表現されている。しつとりと、は海を抱へてにかかっている。母性を湛えた瑞々しさを、この擬態語がよく捕らえている。 ひかへて、この1語も簡単なようでよく考えられている。結句のをりは、概して失敗する例が大半であるが、このをりはうまい。 おもかるを「おもっ」「かるっ」と口にするとなるほどこれはおもかる石だ 勺 禰子 なるほどという言葉がこの歌の中で自然な按配で、その分、この歌がいい歌になっている。つまり感情語を入れないことが、大概うまくいく条件である。 このうたはなるほどで歌になった。 二日月吊らるる空をましぐらに切り裂く光り ソユーズの金色 金色 きん 春野 りりん 人工衛星は肉眼で見える。アメリカで何度か見たものだ。空がきれいでないと見えない。砂漠などはとくによい。スピード感があり切れ味のある言葉の運びが心地よい。結句が大きな世界へ広げてくれる。 わたしの家は平地から100メートルほど上った山の上にある。去年の秋は家の近くの坂道でイノシシを見たが、先日はタヌキを二匹みた。のこのこと歩く姿は、やや鈍重そうで、愛らしく、幸せにあれよと思わせた。吾が身、身巡りにも良き事のあれかし。 #
by Cchitetsu
| 2010-03-14 15:12
| 今日の1首
2010年 02月 17日
カーボンオフセット五円の寄付金の年賀状書く強の寅をんな 高澤 志帆 五黄の寅は昭和25年と昭和61年らしい。ごおうをごうと、子供心に覚えた作者であろう。その話はときど聞くので不思議ではない。強の寅、も独自の造語と思えば味わいがある。結句のをんなが、とても効いている。結句で魅力的な歌になった。 日によりて配達弁当の飯かたし顔近づけて拾い食う粒 小野澤 繁雄 淡々と配達弁当の飯の硬さを語る上の句。なんとも味わいがある。それに増して作者が如実に出ている下の句。小野澤さんのまさに味わいのある1首。 姉いもうと仲良きことをよろこびて父親われに涙はわきぬ 小池 光 まれにみる、率直な小池さんの歌。直球がそのままこころに伝わってくる。ありがたさが、ありがたさとして感じられる。 「ゐるかね」と訊く電話の主は天下り果たしたといふ夫の同期 田中 よう子 初句の「ゐるかね」の導入に尽きる。うまい。電話の主と、作者、つまり妻との関係性が絶妙に表される。天下りを果したという句が初句をきっちり支えている。 一日に川ぐち橋を二度わたり生くる為事(しごと)をけふも終ふるのみ 村田 耕司 下の句の微妙な過剰感を、上の句のしゃれたモチーフで覆って魅力的な1首にしている。川ぐち橋を二度わたるというのがしみじみとして、伝わってくる。 ぢやうざいにくるまれて真夜硝子戸をひく音のしてたれかいでゆく 弘井 文子 くるまれての2句で意味上は切れている。言葉としては切れておらず言いさしで、なにものかに続いてゆく。睡眠導入剤などであろうか。そのぼんやりした意識が、たれかいでゆく、そう感受したというところが面白い。音がして誰か出て行った、それだけで詩がある。 ごめんねと言うたびわれの唇は薄く小さきものとなりゆく 中井 守恵 寂しい歌だ。自意識を詠った歌であるが、自分を客観視するもうひとりの自分がいて、そこを歌にした。 いい歌が沢山あるだろうに、今月はなかなか見る余裕がない。残念だ。ちょっと見ただけの範囲で強く心に残った歌を挙げてみた。 #
by Cchitetsu
| 2010-02-17 18:50
| 今日の1首
2010年 02月 13日
21回歌壇賞は切磋歌会メンバーの長嶋信さん。切磋の来宮さんMEGさん、そののち歌会のくもさんも駆けつけて、お祝いした。お雛様のような長嶋夫妻を中に、談笑ヴァージョンを、本阿弥書店のスタッフの方から撮っていただいた。 なんとも晴れがましい、賑やかな会で、長嶋さんの受賞スピーチが素晴らしかった。俳壇賞お二人の授賞も同時に行われ、三人の受賞スピーチがあったが、拍手は断然長嶋さんのスピーチだった。正直で、真摯でペーソスがあった。 この後の懇親会はまた人数が増え、300人近くだった。 短歌人からも、おおっというメンバーが続々と来て、蒔田さくら子さんも長嶋さんとお会いになった。 とてもとても9000円分の食事を食べる暇がなかったが(寿司を食い損ね ^^;)楽しい一晩であった。 有名俳人もアリマさんや、いろいろきてらっしゃった。 仲間からこんな受賞者も出て、切磋歌会をこつこつ続けてきて、ひとつの甲斐があったと嬉しく思った。 賞もふくめて、いろんなメリハリというのは、とてもいいことだ。 #
by Cchitetsu
| 2010-02-13 09:31
| 今日この頃
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