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2009年 12月 31日
新しい年が始まります。 みなさまにとって良い一年でありますように、こころより祈念いたします。 最初ですからたまには自分の歌で。 浜、湊、津など海辺を思はする駅を通りて堺に 着きぬ 長谷川 知哲 阪堺電車を貸しきって行われた関西のチンチン電車吟行歌会のときのことを詠ったものです。堺と言う町へ行ったことがありませんでしたので、嬉しかったのです。天正時代、堺が都市国家のような形を作ったころは、海岸線がずいぶん違ったのだろうなあと、地名を見ながら思ったのでした。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-31 09:11
| 今日の1首
2009年 12月 15日
日曜日の忘年会で、宴たけなわの中頃、なぜが小池さんに呼ばれてとなりの席へ。 足を悪くした歌を3ヶ月ほど出していたので心配してくれた! クレニオ・セイクラルという体に働きかける技術を(謂わば整体のごとき)もつGFに 思い余ってきいたら、直してくれた。すごい技術だ。手技。或いは体の深層にまで働きかけるチカラ。 そこで、ネフスキイ。 岡井さんのこの分厚い歌集をのなかから。 宿敵と語りしことも遠くなり今日小さなる池をまたぎつ 岡井 隆 吉本隆明が宿敵。間違いなく。それが遠くなった。時間も、そして双方歳もとった。吉本さんは大病までした。そして今日、つまり此の頃だ。小池さんと話をしたと。まだまだだぜ、小池くん。そういっている岡井さんが見えるようだ。しかし、歌にまで名前をだして小池さんを挙げる。つまり、買っている。 以上、知哲の読み。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-15 22:42
| 今日の1首
2009年 12月 10日
雲仙岳の火砕流にて天草四郎の人物画は焼けてしまひき 山寺 修象 これはこれは。韻律への挑戦と試みです。77867となる。不思議に778、これらの字余り群は短歌のつもりで読んでしまう。ところが4句の6音でふにゃりと暖簾を押したような気分となる。字足らずの特徴だ。最後結句だけが定型7音で、それで短歌と納得させられてしまう。6音の欠落感、それがこの歌の中心だ。意味も消失であり、それと呼応しているかもしれない。 こころあそべ手足も遊べきぼうの黄きいろの花を寄せ植えしている 松崎 圭子 連作を読むと、これがなんともしみじみと悲しい歌であることが分る。松崎さん出色。その前の歌は「まず立たせ背後より抱けば胴ほそく四足歩行の夫とわたくし」。夫を介護しているのだ。 ジャムの蓋ぽかっと開いて今日われは朝雲のように気力みなぎる 木曽 陽子 一転して、まことに陽のエネルギー溢れる歌。木曽さんは、こころが少女のように笑う。純粋に笑う。笑顔がすばらしい。そういうひとが、こういう歌を詠うことができる。施しているのだ。笑顔も歌も。微笑布施。 この街の秋は早めに来るらしい自転車を降り風の道ゆく 関谷 啓子 彼女がもっている時間・季節・自然というものとの距離感がよく出ている。普通と違う。なんとなく夢の中のようで、現実感が薄いというのとも違うのだが、ふわりと自分の意識が軽いのだ。それが言葉に出ているのだから、それを文体という。 蟋蟀のしつしつしつと鳴くがあり勝手口より秋はきており 今井 千草 しっしっしっではない。しつしつしつである。結句が新仮名だから。この擬音が上手い。「が」が個性を作っている。骨格がしっかりして安心して読める。下の句の座りの良さからは、読んでいて安心がやってくる。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-10 23:20
| 今日の1首
2009年 12月 09日
富有柿冷ややかに食む食み終える私のことは私が決める 水谷 澄子 はにかみを隠しているのに、自分を捨てたがって、6割がた捨てた風になってきた水谷さんは、そのままこの歌に出ている。 はだすすき末(うれ)も逢はむと言ひしばかり往きて反りぬ秋ふかみかも 酒井 佑子 はだすすきは末にかかる枕詞。また逢おうと言っただけで、かえってきたが、秋が深まってきた、そういう意かと思う。普通のことが大切なことに感じられる、まるで平安の時代のような雰囲気がする。 朝夕にかがみの中のしわ顔にあきらめないと練り粉ぬり込む 岡田 経子 練り粉とはどんな粉か? 女の仕草は、男には永遠になぞだ。 しかし、先住民は男がいろいろ練り粉を塗るようだし、こちらが現代病でもともとの素質を失ったのか? あきらめないと、に正直な声が出ている。 奮発しかさぶらんかの大鉢を買ひきて古希を自祝したりき 永井 秀幸 叙情のひとはかさぶらんかの鉢を買う。あの大振りな、あでやかな、西洋人そのもののようなカサブランカ。アジア人は植物に託して脱亜入欧を目指す。しかし、永井さんの古希を、この場からもお祝いしたい。 金鳥の渦巻なほも燻らせて夏惜しみをり彼岸の入りに 斎藤 寛 つまり蚊がいるということ。しかし斎藤さんは蚊には気を捕らわれず、夏を惜しむという風流心をしみじみ感じている。伊豆ではこうは出来ないなあ。藪蚊の力が異常に強いから。 淋病も梅毒さへも手馴づけし荷風の蝙蝠傘(カウモリ)どぶ板を突く 朝生 風子 荷風が眼前に現れてくるような迫力がある。結句で動きがでた。この人は独特の感じ方があり、面白い。一言いえば、ぼくなら結句は、どぶ板を抜く、にする。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-09 23:49
| 今日の1首
2009年 12月 05日
情愛の人、また文武の人、依田仁美さんが代表編集人である『舟』を初めて拝見する。
歌人俳人詩人作家、大勢が参加している。面白い。濃い。 その中から。 「東洋的夜」 萱野原さよ 広大な熱帯の砂漠 昼と冷気と灼熱の夜 大きな麻のズタ袋に 金貨宝石こき混ぜて 運んできたのが 詩人従える商人たちでも 絶望の熱情に死ぬのはやめよう 喜びの苦渋に 瞼開く孤独だってある 梟の産み落とした満月に 亀裂はしり炸裂しても 釈迦の頭上にひらく 菩提樹の花に 水は必要だ 歌詠みの癖かもしれぬが、結句で明らかにしてしまうのを潔いととるか、蛇足ととるか。 ぼくなら削る。 魂が啼くなら蜩(ひぐらし)の声で 宮本 美津江 ひとひらの雪になるため海にゐる この人の俳句はいい。2句目などは、短歌とはこう違うということが如実にわかる。短く一つだけパッと云う。 短歌の吾、私性と、この句の吾を比べてみると、吾はしっかり居るが、説明しない分、乾いている。俳句という句形が、吾を潔くあらしめる。ちょっと羨ましい。 南無馬頭観世音菩薩とありし碑に祈るヒトを許すなかれと 宮本 美津江 しかし、俳句作者が短歌を作ると、こんどは一転して説明的になってしまう。日露戦争以来、徴発されて亡くなった軍馬の慰霊碑は日本のいたるところにある。万霊の慰霊碑もまたしかり。乱暴な論は若さに免じておく。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-05 16:10
| 今日この頃
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