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2009年 12月 05日
ホームレスのわれに十月きていちまいのジャンパーあること慈愛は深く 矢嶋 博士 破調をどう生かしめるか。ヤシマさんの場合は、慈愛で生かしめる。あること慈愛は深く、この言いさしに作者の真情がおのずと滲み出る。隠してもだめです。慈愛の無い人は破調は成功しない。つまり形をもとめて破調を追求しても駄目だということである。 夕暮れのバス停に佇つ学生風が「俺はごとーを待つ」と言ってる 久保 寛容 演劇をやっている学生がベケットを気取って洒落を言っている。その場に作者が居合わせた。学生風、と言って学生を表すところなど手馴れている。言ってる、なども簡潔だ。 生きゆくを何があつてもたのしいと云ひきるまでのながき逡巡 水原 茜 結語が逡巡とあるだけに、それまでの表現がすっと流れることなく言いよどみ言いよどみして至るところがいい。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-05 15:35
| 今日の1首
2009年 12月 04日
海洋堂のおまけが欲しいいとこからもらひしチョコのたたりを浄む 高澤 志帆 いとこ同士のちょっとした鞘当である。どんなおまけか、興味あり。 しかし、結句が効いている。志帆ちゃん、さすがうまい。いとこという、微妙な関係性を持ってきたのも、1首を立たせている。 翅をかう肩甲骨の上へ吊り上げ赤とんぼ飛んでゐるなり 西尾 正美 3句と4句が苦しい句またがりになっている。あるいは、ひどく破調にして3,4,5句を7・5・7と読ませたいのか。3句を次へ句またがりにするのは、ぼくの感じでは9分9厘失敗する。それは、3句のあとに自然な1拍が備わっているから。しかし、会員2に面白い人が現れた。初句のかうなどと言うところは憎い。 あの夏のわれらふたりは轟轟と水吸い上げるポプラであった 中井 守恵 われらふたりとは、自分と妹である。なんという比喩。なんというアナロジー。卓抜。 ABBAの歌 ハモって歌って盛り上がる 僕と母とで二人カラオケ 上村 駿介 中1の駿介くん、おじさんはABBAを知らない。スエーデンの音楽グループらしいのね。一字明けをしたりして、技巧を試みている。韻律がよい。 たつぷりと湛へしのちの水に挿すてつぽう百合のつぼみのみどり 春野 りりん 安心がやってくる。それは歌の座りがいいから。言葉の選び方、語順、そこに作者の風格がでてくる。なんということもないことを、歌って安心を表出させる。これくらい出来る作者は会員1・2では、この人がぴか一だろう。最近の高瀬賞の各受賞者より一段高い。 ラヂオからはノイズばかりがやむごとなき こゑなんてもの蝉は聴かない 田宮 ちづ子 表現技巧といい、テーマの取り方といい、この1首はすばらしい。今まで見た一字空けのなかで最も効果的なもの。やむごとなき こゑ、とやって、一言ですらりと通ずるものではない声が表されている。それも、その前のばかりが、で実は一度切れていて、意味上はなきこゑ、のところは切れていない。そのねじれが、テーマにふさわしい効果を作っている。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-04 06:39
| 今日の1首
2009年 12月 02日
入りかかる日の赤きころニコライの側の坂をば下りて来にけり 『赤光』 斎藤茂吉 アララギの俊英たちに、ニコライの側の坂という把握、表現が評判がいいのは周知の事実である。確かに、そばの坂、とは当たり前のようでなかなか言えない。 ニコライは、当然御茶ノ水にあるニコライ堂である。この茂吉の歌は明治38年頃とされており、ニコライ堂周辺は今とは隔世の感があるだろう。まったく田舎田舎したものだったろうと想像する。ただ、山形の正真正銘の田舎から出てきた茂吉には、断然都会風であったのだろう。 ぼくの注目したのは、入りかかる日の赤きころ、この語順である。入りかかる、の次に直接繋がる日を持ってくる。入りかかる赤き・・とはしない。句の最初にストレス(アクセント)がある。入り、を強く言う。日の、を強く言う。初2句がそうで、4・5句も最初にストレスがくる。途中の3句は静かに読み進む。そんな微細なところで、歌の雰囲気、つまり緊密感がきまってくるのだなあと感じた。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-02 23:17
| 今日の1首
2009年 12月 01日
昨日夢をみた。
二本立てであった。 最初はアメリカで運命の出会いをした吉田行典上人さまが出てこられ、久しぶりにお姿を拝見して、懐かしくそして敬虔な気持ちになった。 後の夢には清水房雄先生が出てこられた。お会いするのは三年ぶりか。とてもお元気で、ぼくを心配してくださっているご様子が伝わってくるので、この際甘えてしまおうと、今月の短歌人誌を走って取って来た。読んで下さって、コメントを言わずに、「ものに目を透すんだよ。」と仰ってくださった。 なくなった妻の誕生日の晩の夢である。ありがたし。 #
by Cchitetsu
| 2009-12-01 22:43
| 今日この頃
2009年 11月 14日
傘通らんが辻にやさしく受けとめてもらひぬ今を君と吾の今を 勺 禰子 傘通らんが辻を擬人法にして今と言う儚くも尊い時を詠った相聞歌。作者のものに対する気持ち、君に対する気持ちが切なく伝わってくる。「傘かしげ」をしないと通れないほどの狭い道辻なのだろう。結句9音破調の字余りがむしろ詠嘆を強くしている。いい歌だ。 代々の祝女(のろ)の吐息のみなぎれる御嶽(うたき)にて身は震へやまずも 春野 りりん 沖縄のいずれかのうたきを作者は訪れた。うたきは霊場なので、感応の強い人はだれでも反磁場の霊気を感じるものだ。正直な述懐を鮮やかに歌にした。 ほろよひの夜話に死ぬ順決めしことなどをおもひつ結婚記念日 本田 鈴雨 今回のではない以前の結婚記念日にほろよいで死ぬ順を決めたのだろう。仲良し夫婦ならばだれでも経験することで、共感がある。若者ではない、中年以降にさしかかった印のようなものだ。作者は、底に明るさがあって、それが自然に歌にでる。いいことだ。 給付金全てを競馬に注ぎこんでサッパリキッチリお国へ返す 大矢 信夫 さっぱりさが潔い。歌がである。サッパリキッチリというオノマトペがこの歌の決め所で、それがうまく行った。お国へ返すという結句の表現は作者の人柄をことばに載せてうまい。 #
by Cchitetsu
| 2009-11-14 19:10
| 今日の1首
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